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進路に悩んだとき あのときもっと早くあの手紙をもらってたら。 ファンレターの返信

明けましておめでとうございます。

明けたばかりだけど、悲しいです。

悲しみにしずんでばかりいたくないので、
人に優しくされたことと青春の思い出をかかせていただき、
鬱屈としたこの気持ちを18のときのあの清々しい気持ちまでもどしたい。とおもいます。

子供の頃から漫画を書いていると、あっという間に時がすぎていた。
子供心にも、自分は心底漫画がすきで、こんなに小さい頃からこんなに没頭できるものがあることに、何か、夢心地のようなふわふわとした感覚があった。
また、そこには常に音楽が横にあったことも夢見心地の理由かもしれない。

大好きな漫画家の一冊を、ピアノの下に隠して、だれも探しはしないのに、宝物のように、誰の目にも触れさせたくないくらい、神聖なものとして、たまに手に取って、お気に入りのページをみるだけで心が満たされる。

漫画を読むことにも、描くことにも、なにか神聖な気持ちを持っていた。
今思えば、発行された漫画は、かくしたところですでに大衆に手に取られているのに。

十歳からストーリーをつけてかきはじめた。
中学になったとき、学校で書いたイラストに工夫をして色を塗ったことがあり、それが偶然にも絵の雰囲気にはまり、まわりから褒められた。

その絵が、しばらく廊下に掲示されることとなった。教室とは別の校舎だったのと照れがありみにいくことはなかったが、ある日、部活のためにふとその校舎をよこぎると、下級生らしきこが、私の絵を間近でじっと見ている後ろ姿があった。
わたしはさっと隠れてしばらく柱のよこで、不安もまじえつつその様子を伺っていたが、
その子は他の絵はみず、ただ私の絵をじっと見上げてくれていた。

この光景は、大人になって挫折しそうになるたびに、自分の心の灯火のように浮かんでくる光景となった。

でも、小学生の頃から、私には、
絶望があった。
望むものにはなれない。
漫画家なんてなれるものではない。
家庭環境で、自分はつまらない社会のどこにでもいる歯車になるのだ、と、思い込みがあった。
そういってくる大人が多かったことが、この希望のなさの要因だったとおもう。

今思えば、十歳からなにがなんでもなるんだとおもって努力して覚悟をもっていれば、売れるかどうかはべつとして、なんだってなれた思う。

いぜんハイロウズの夏の朝にキャッチボールをを聞いたときにそう思ったとかいたとおり、なんだってなれるんだと、今近くに若い人がいたらいってあげたい。
そんな大人が隣にいるだけで、ひとつ絶望が消えるんじゃないかとおもう。わたしはそうだったと思う。

脱線したけど、とにかく自分には自信がなかった。
でも、好きだから、高校になっても受験の合間に息抜きで漫画を書いていた。
高校生になると進路調査をなんどもうける。
わたしは、いくつか志望を書く中に、大学とは別で、漫画の専門学校をいれたことがあった。
絶望してたけど、いざ来年の春にどこに自分の所在があるのかを想像したら、やはりひとつは希望をいれたかった。
その頃は勉強もかなり頑張っていて、ある日二年の時の元担任の先生から掃除の時間に呼び出された。

こんなに勉強を頑張っているのに、進路に大学以外を書いてるときいたよ。今はわからないだろうけど、大人になったとき、就職するとき、専門を出ているのか、大学を出ているのかで、社会の見る目は大きく違う。専門性をつきつめられるのはひとにぎりだ。ここは一般の高校で、美術の専門はない。悪いことは言わないから、普通の大学へいった方がいい。

今になって、確かに一芸のない自分は、大卒かどうかで社会は門を開いたり閉じたりすることを痛感する。
だから、先生は合っていて、この言葉は当時まじめに勉強していた私を考えてくれたありがたいアドバイスなんだとおもう。

でも当時は、とてもショックだった。

色のない世界へいけと言われた気がした。大人の凝り固まった偏見だとおもった。

それで、だれにもいえないまま、頭がこんらんしてきた夏の終わりに、今でも有名な漫画家となっている、当時ヒットのあった漫画家さんに、すがるおもいで手紙を書いていた。

ファンレターという形の、進路相談をしたのだ。
あとにも先にもファンレターというものを書いたのはこのとき一度だけ。

返ってこなくてもいい。でも、今一番尊敬している、素敵なストーリーを描くこの人に、話を聞いてもらいたいと思ったのだ。


夏休みがおわり、オープンキャンパスもすぎ、土曜は毎週末模擬試験。
返事は来ない。

帰宅したら八時まで寝て、ご飯をたべ、そこから三時くらいまで勉強して、寝て。また学校の日々を続けていくうちに、もともと当時は勉強が楽しくなっていたのもあり、私は推薦で学校を志望し、そこを目指した。
好きだったマンガの舞台となった土地だったので、それはそれでやる気になっていた。

冬になり、年が明け、2月頃合格通知が届いた。
とても嬉しかった。

三月になり、引っ越しの準備を始めた桜のつぼみが青い頃に、
本屋で見馴れた漫画家の名前でポストに手紙が入っていた。

「返信が遅くなりすみません。
漫画家になりたいんだね。私の行った専門学校は、◯◯で、ここではこんなことをしました。夢は捨てずに、頑張ってね」

春の明るい陽射しの入る部屋でひとり、
何度も、
何度も、
その手紙を読み返しては、文字を手でさわった。


もう二週間後にはこの家を出る。
漫画家は完全に諦めていて、
何千冊とあった漫画は、あの、ピアノの下の漫画も含め、
全て売ってしまった。
小学生から描いていた漫画のノートも捨てた。
もう振り返らないときめたからだ。


もしこの手紙が秋に届いていたら、
なにか変えてたかな。
私は変わってないから
何も変わってなかったかな。


大人になってからの人生の岐路は、自分の中のタイミングが大きい気がするけど、
今の日本では学生のタイミングで何度か分岐点がやってくる。
タイミングすらも運命なのか、
けっきょくはタイミングなんてまたずに自分の中の意志を強く持った人だけがつかめる運命なきもする。

最近とても悲しいことがあり、
人の何気ない優しさを思い出したとき、
当時の真面目で一生懸命だった若者の自分が、春のある日に感じた清々しい切なさを、また感じたいと思った。

若い人には好きなことを後悔せずにやってほしいし、自分が応援できるようになったらいいとおもう。
そして、大人だっていつまでもなにかを追い続けることに真摯な人が増えたら、素敵だろになとおもう。
自分はそうなろうと、悲しみを経ておもった。


長々と拙い文章を読んでいただき、大変ありがとうございます。
みなさんにとって素敵な新年でありますように。





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