振り返る、っていう概念が好きな話

例えば、自分の人生のイフを考える時がある。
もしあの時父親について東京に引っ越していたら、もし今の大学に落ちて東京の大学に進学していたら、もし私が漫画に出会わなかったら、、、
一体どうなってしまっていたのだろう。時々考えて怖くなる。

トレードオフ、ということばに出会ってから、その響きと意味が好きで、多用してしまう。だって頭良さそうに聞こえるじゃないか。
トレードオフっていうのは、一方を選べばもう一方は成立しない状態を指す。例えば、一般的に高品質と低価格はトレードオフ、質にこだわれば価格は高くなるし、低価格を優先すれば粗雑な出来は免れなかった。このトレードオフを解消するとユニクロやダイソーのように高品質低価格という常識破りの製品サービスが生まれヒットにつながるのだが、まあその話は置いておく。

人生の選択はトレードオフだ。いや、トレードオフじゃない人生なんて、ループ系のラノベか前世記憶あるタイプの神童くらいしかありえないだろう。

だからふと、もしも私がこの進路を選んでなかったらどうなってたんだろう、と思いを馳せることがある。今の友達は顔も名前も知らず、私の生活も興味も何もかもが変わっていたかもしれないし、あんまり変わんないのかもしれないし、もっとだったかもしれないし、もっと苦しくなってたのかもしれない。

過去のことを考えても無駄だよ、という意見を聞く。その通りだ、ぐうの音も出ない。
でもな、あまり良くないことなのかもしれないけど、前向きばかりの人生って眩しすぎませんか。陰影って必要だと思うんです。ふっと振り返って、ああこの道ってどうしてえらんだのかしら、他の選択もあったよなと思う事って、そんなに悪くないと思うんですよね。
もちろん、今まで来た道でコケた記憶が蘇って苦しくなる事もあるんだけど、でもそこでコケてなかったら、今の自分はいないかもな、とか思って軽率にエモーショナルになるじゃないですか。
だからといってその記憶に取り残されてウジウジうずくまるのは幸福から離れる行為なので苦手です、辛辣だけど実際うずくまってばかりじゃ何にもならない。ちょっと振り返って、ここまで歩いてきたじゃんか、くらいでちょうどいい。だって人が振り返る姿ってすごくきれいじゃないですか。真正面から見るばかりが人じゃないでしょ

脱ネガティブを決意したのが2月下旬、そこからはポジティブキャンペーンを絶賛継続中なんですけど、やっぱり後ろ向きになる瞬間もあるんだよな。でもな、基本前向き時々振り向き、それくらいがちょうどいいよね。これくらい振り向いてた方が、ちょっと人間美人に見えるよね。と、見返り美人の良さを再認識しました。

あれ、何の話だ、ようはね、

人間、時々振り返るから美しいのだと、こっそりと美学を持っているのですよ。
だから私は、振り返る、っていう概念が好きって話です。

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