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「あなたの幸せを願っています」の1行に弱くてね。

 忘れそうになるけど、幸せになるために、私たちは生きてんですよね。

 思い出すたびに泣きそうになる言葉があるんです。

「あなたの幸せを願っています」

 青のフラッグの最終巻8巻、巻末オマケページの、作者のあとがき最後のコマに書いてありました。

 私1人にかけられた言葉じゃない、作者から読者への1メッセージです。
それでも、私はこのセリフを読んだときに泣き崩れてしまった。そうか私、幸せになろうとしていいんだ、もういいんだ…と、なんか許された気がしたのです。自分を優先したい自分の存在自体を、許していい気がした。

 周りを差し置いて、自分が得をするのは、気持ちがいいけど未だとても怖いです。周りになんて思われるか、考えるだけで恐ろしい。そもそも、承認欲求の塊なので周りの人に私を認めてもらいたいのです、みんなそうか。それでも、自分が周囲にとって利益のある人間でなければ愛されない人種であるというのは太古の昔、カンブリア紀、いや小学生時代ぐらいからとうに分かっていました。
 だから、私が誉められたり、私が得をしたり、私が良い気分になった分、私は人の信頼を失っていると考えていました。
 だから、「どうやって自分を利他的に見せるか」を考えてきた。今も、利他的な行動をとることでいい人になろうとしている部分はあります、うるさいやらない善よりやる偽善だ!!

でも、あなたの幸せを願っていますなんて言われて、やっと、今この瞬間の幸せを求めていいような気がした。
 自分は、「の私の幸せ」を求めていいんだ、とハッとしたわけです。自分で気づけ〜!

 いまだにそうですが、私は自分が成長するのを面白いとはさほど思えません。人と比べた時に、優れているところを持てば自分に価値が生まれて人から必要としてもらえるから、欲しがられる人間になるべく成長しようとするだけ。
 欲求階層説で言えば「承認欲求」のステージを延々周回レースしてるわけですよ。

 「すごいねと言われる結果を出すための行動選択」じゃなくて、「そもそも行動自体を私が楽しいとか幸せだと思えるものを選ぶ」なんて、そんなこと考えたことすらなかった。目から鱗が落ちたんです。
 
 「お前、もう好きにやっても結果がどうなろうとも生きてていいよ」と言われた気がした。欲しい結果のために今を耐えて耐えて耐えて…なんてしなくていいんだ、頑張んなくてもいいんだって、思ったんですね。

 いや、もちろんそれまでの人生ずっと、私のやりたいを押さえつけてきたわけじゃないですよ。食べたいもの食べて、やりたいと思ったことやって、やめたい事やめて、やりたくない勉強はちゃんと手を抜きました。えらいえらい。

 そういう食欲、成長欲とかじゃなくて、こう、人間関係とか進路とか人生とか。

 自分の幸せのために生きていいんだ…ってすごくショックを受けた。だから、私は今けっこう好き勝手に本能の赴くままに生きています。幸せと思えない瞬間もあるけど、総じてまあまあ幸せです。

 全然、青のフラッグの本編とは関係ないところで号泣した私ですが、多分作者のそんな願いや価値観が作品に滲んでいたから、青のフラッグを愛してるんだろうなと思います。

 青のフラッグはいいぞ…興味を持った方は是非ジャンプ+で読んでね!!!

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