見出し画像

「私意外とかわいい説を人生かけて証明したい」第1章

 最近、魔法の鏡(名を洗面台という)を見るたびに「…わたし、もしやかわいいんじゃないか?」と独りごちる。
 んなわきゃねえだろ!という脳内のクソ男想定リアクションを捨て置いて「いやあ~今日のかわいい確率80%~」と言えるくらいに、私は昔より自分の容姿をポジティブにとらえられるようになった。
 鏡見るたびに「ワーぶっさいく~」と思っていた時よりずいぶん成長したと思う。

 自分が可愛い方ではないと心底思い知った経緯には、二つの方向性がある。

 1つは、私が外の世界の女子と比較する方向だ。中学一年生の時に初めて買った中学生の指定教科書「ニコラ」をみて、自分があまりにもデブである事をまざまざと思い知った。昔は成長すればみんな女優のようにきれいになるのだと信じていた私は、雑誌の同い年や年下の女の子があまりにもきれいで、大変ショックを受けた。そして読者モデルのえげつないスタイルの良さに変に負けん気を起こして、いろんな無茶なダイエットを試した。「一食400カロリー以内におさめる」「夜6時以降は何も食べない」。
 今思えば、正直中学3年生までの自分は救いようのないデブというわけでもなく、新体操のおかげで標準的な体型であった。だとしても、足がめちゃくちゃ太いのが嫌で嫌で、レピピアルマリオ、リズリサ、ピンラテの露出高い服は着られなかった。勇気を出してショートパンツなんぞ履いたとしても、「足太いくせに足出すなよ」とすれ違う男性や同級生に詰られているような気がした。好きな服を着ても、ワクワクより恐怖が勝つ。そわそわが止まらなくて気が気じゃなかった。
 余談だが、私は新体操の衣装を着るときには羞恥心がカンストしてあまり周囲の目を気にしなかった。女子しかいない競技だったという事に加えて、「デブだが(君たちの相手にするまでもないスライムだが)なんか文句ある?」みたいな振り切り方をしていたのだと思う。なんやかんやでレオタード着て広いフロアを踊る競技を10年続けたのだから、ずいぶんと下手の横好きを謳歌していた。

続く。
次回、
「下の下か中の下の顔面とか人に言う言葉じゃないんだわ」

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?