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ヒートテックやめぬ。


春が来たそうです。結構前、先月くらいから春だ春だと言われているけど、残念ながら築30年を余裕で上回る私の古城は夜の冷え込みがすごいし、札幌にいたからって別に寒さ耐性ができるわけでもなくむしろ暖房の恩恵に甘える前提の生活に慣れ切ってしまったので、ずうっと寒いです。いまだに冬用毛布を二枚重ねてニトリのNウォームシーツの上に眠り、極暖ヒートテックにスポーツシャツとウィンブレを羽織って走っています。代謝わるすぎ。
とはいえ最近はヒートテックを二枚重ねずとも震えない程度には、あたたかくなってきました。これはそろそろ、春の到来を認めねばならんのでは?うっすらと暖房をつけることに罪悪感を覚え始めたので、春ではない事を証明するべくひとり奮闘しました。先週まではランニングの道、近所の桜、みんなみんなまだ咲いちゃあいなかった。桜咲くまで春じゃないので、極暖ヒートテックも着るし暖房もつけるよ、ウン!とかイキリ倒していたのですがとうとう私の心を置きざりにして近所の桜が咲き始めました。ランニングコースの川沿いの桜です。つい走る足を止めて、まだ冷え込む朝の空気にピンク色の花を揺らしている桜を、頑張るね君…と見上げました。普段あまり写真は撮らないのですが、あまりにも目覚ましいピンク色で、気づけばスマホを取り出して写真を撮っていました。

今日はランニングがきつくて、何か考え事をしながら走ろうと思ったので、いったい桜とは何なのかを考えました。
桜とは、日本人の心である。この定義は国文学や宗教、歴史的な視点から見たものでしょう。
桜とは、日本を中心に分布する広葉樹林である。この定義は生物学、特に植物学でしょうか、生命としてのとらえ方です。
じゃあ私のとらえ方なら、桜って何だろうな。春の象徴、あこがれのピンク、はかない優しさ、動乱の人間関係、暖房の終末。いろんな意味があるなあ、どれにしようかな、と迷っているうちにランニングが終わってしまい、どうにも結論がでません。なにかしらの定義をせねば、と焦って、「ヒートテックやめぬ」に決めました。美しさで人を惹きつけ儚さで心を射止める桜を、私のとらえ方ではネオ・ババシャツの脱ぎ捨てと定義するのです。この途方もないダサさが美しい桜と最高のコントラストをつくるぞ、とご満悦でした。何を言ってんだろうね。

しかしこう定義したならヒートテックをやめねばならない。「ヒートテックやめぬ」の「ぬ」を否定の「ぬ」ではなく完了の「ぬ」にしなければなりません。参ったな、結構寒いんだけどな、と迷いつつも今日の服を身につけるときに考えました。あくまで今までの私は極暖を着ていたわけで、ただのヒートテックに変えるのも春への脱皮といえるのではないか。だめだ、「極暖やめぬ」ではない以上ヒートテック自体着るのをやめねば…どうしたものか…と迷いながらヒートテックを着てニットワンピースに袖を通しました。
まあ、今日はいいか。明日から、ヒートテックやめよう。完了のぬとしてヒートテックやめぬというぞ!と一人意気込んで、コートを羽織って出かけました。勿論冬用です。

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