くそったれ!は無限大のパワーを秘めてると思う


小学生の頃から、ちょっと男の子みたいな言葉を使うのに憧れている。強い言葉を使うと、自分も強くなったように錯覚したのだ。

ブリーチの名言にこんなものがある。

「強い言葉を使うな。弱く見えるぞ」
(藍染惣右介 BLEACHより引用)

おっしゃる通りでございますともええ!!
でも、やっぱり強い言葉を使うのは快感だ。

人を傷つける目的でなければ、強い言葉はかっこいいと思う。自分がいかに夢中なのか、どれほど心を動かされていったのかを相手に理解してもらえる気がする。何より言ってて自分が狂っている気がして、ワクワクするのだ。そんな自分がなんとなくおかしいのだ。いわゆるオーバーリアクションってやつ。日本語は身振り手振りが少ない分、言葉に力を持たせているのではないかと思う。
だから、クソッタレという言葉が結構好きだ。性格が悪いのかも知れない。

最近自分の性格が悪くて、参っている。
ちょっとした事でクソッタレ!と思ってしまった自分に「チッ」と強めの舌打ちをしている。

脳内のドSな自分はいう。
「よくもパンピー大学生の分際で誰かにクソなんて言えるよなあ?ん?
そんな性格悪くて自分に価値があるとでも思っているのか?人から好意を向けられたい以上は自分にもそれ相応の価値が必要だろ?怒るな、許せ。お前には誰かにイラっとする資格なんぞないのだ。耐えろ。笑え。」

そう自分に言い聞かせていたら、心臓のあたりを体の内側からつまんだような苦しさが喉に競り上がってきて、あ、私をいじめすぎた、なんて思った。
 

 私は自分をいじめるのが大好きなんだと思う。自分を可哀想がるのが大好き、きっとそうだ。
 誰もそんなこと言ってないのに、勝手に自分を責めていく。
 冷静に考えれば、え?誰得?って話なんだ。もっと自分を認めてあげればいい、とは、いろんな人に言ってもらえた。お陰で、私は意外と優しいし意外と信頼されてるし、意外と文章を書くのが上手いらしいという事は、自分の中で心から褒められる。そこは私の良いところだ。

 でも、嬉しい悲しいと思うことと同じで、気づけば強い言葉で自分をいじめている。バカも大概にしろ。
 言ってるそばからこれである。悪い事ばかりに目を向けんじゃねえ。

 死ぬほどネガティブな自分を受け入れたら楽になれるかも、と思って試してみた。
 苦しいのは変わらなかった。
 自分のネガティブポテンシャルの高さをまざまざと見せつけられた。

 ネガティブな話は受けが悪いから、人前ではポジティブみたいな事を言おうとしていたし、それこそ仲良くしていたい人とは明るい話で私との時間を楽しいと思って欲しかった。だから、ちょっと頑張っていたのだ、ポジティブ。
でも、やっぱりボロが出てきて、最近は友達にネガティブなこと言ってばかりだ。ダメだなあ。そう思うけど、でもこれが野生の私である。どんなに自分で飼い慣らそうとしても、本能からは逃れられない。というか、逃れる努力を諦めた。
 そうなると、もはやただの役立たず、ネガティブ発煙筒みたいなものだ。周りに影響出す前にドボンした方がいいのはわかっているけど、流石にそれはちょっと、だいぶダメだ。

 そんな時に私は自分に、生きてるだけでドナーになれる、と言い聞かせている。
 臓器を保持するだけでも、将来誰かの役に立つかも知れないのだ。生きてるだけで誰かの役に立つ可能性が高まるのだから、死ぬには惜しいな。と自分で自分が生きる事に納得している。

 こんな感じで、またこんな暗い思考に陥っている私に、またガッカリする。
 あーあ、強くなりたい。クソッタレ!って言いたい!膨れ上がるクソッタレ欲求を、脳内で愛染隊長がいなしていた。

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