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『鬼滅の刃』にハマれなかった人の感想

※ネタバレ含みます。
※アンチではありませんが批判的な内容なので、鬼滅大ファンです!という方はご注意下さい。

先日、遅ればせながら『鬼滅の刃』を全巻読んだ。読んだ直後に書いたメモ書きと、思い出しながら追記する形での感想なので、間違っている箇所、忘れている箇所があったらすみません。

数年前、一大ブームを巻き起こした当作。しかし、絵が好みでは無いのと、小さい子供がこれだけ面白がっているという事は、自分向けの内容では無いのだろうと勝手に決め付けていたのとで、全く食指が動かなかった。
ところがある日、漫画関係のまとめブログを眺めていたところ、「炭治郎を嫌いな奴なんて存在するんか?」というスレを見て、衝動的に読んだ。衝動的に、と言っても「折角読み始めたんだし、200話くらいで終わるから…」と何度も挫けそうになる自分を鼓舞した。読んでいない漫画を批評は出来ないし、どうしてあれ程までの社会現象になったのか気になったのだ。

まあ、そういう訳で、やはり自分にはハマらなかった。どうしてハマらなかったのか、その理由について以下、詳述する。


1.ストーリーや人間関係が単純過ぎる

鬼殺隊が休む間も無いくらい鬼が頻繁に出没しているにも拘らず、鬼を倒そうとしている組織が鬼殺隊しか無い、という設定に強い違和感がある。

軍隊とか研究機関とか、他の組織も登場させていれば、もう少し複雑なストーリーに出来ただろう。政府は鬼を軍事利用しようと目論み、天才科学者お抱えの研究機関は鬼を人間に戻す方法を探り、しかしその中にも軍からのスパイが居て…とか、これでもパッと思いつくくらい単純だ。
様々な思惑が飛び交う中で、水面下の心理戦が行われるドキドキ感が全く無い。この辺は、『ゴールデンカムイ』の素晴らしさを体験した身には物足りなく感じる。

鬼が生まれた時から鬼ならば、鬼殺隊のやり方だけでもギリギリ許容出来る。しかし元は人間だったとなると、自ずと他の方法を考える派閥も生まれて来る筈である。
一応、鬼を人間に戻す手段を模索する珠世や、(その残虐性を再確認する為だろうが)「鬼と仲良く出来たら」と考えるしのぶのようなキャラクターは居るのだが、そこからドラマが生まれる事は無い。

元が人間となると、「多数の人間を殺した者が贖罪する方法は死しか無い」という理論で鬼殺隊は働いている事になる。
家族や大切な人を奪われた炭治郎を始めとする人物なら復讐に燃えるのも分かるが、中には善逸のように特に鬼に恨みが無い人物も居る。その辺の倫理観は「近代だから」という理解だけで良いのだろうか?

また、いちいち煽るような事を言う鬼も居るものの、そもそも彼らは人間を食べなければ生きられない。必ずしも快楽目的で殺人している奴ばかりでは無いのだ。
それなのに「鬼と相対する立場が鬼殺隊しか無い」というのは、やはり不自然だと思う。正義が1種類しか存在しない世界なんてあり得るだろうか。

これも一応、死んで塵と化す鬼に、炭治郎が慈悲の様な感情を向けるのだが、それだけだ。
担当編集者は、炭治郎のこの「敵に情けをかける」という描写に、「こういうキャラクター造形ができるところが、この人の才能なんだと感動」したらしい(『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話)。
この情報を知った時点では、そんなにか?という印象だった。最近読んだ『弱虫ペダル』(これも後日感想を書こうと思っている)の小野田坂道はそもそも闘志が無く、「みんなで一緒に走りたい」という理由でロードレースをしているし、『エヴァンゲリオン』の碇シンジはカヲルくんを握り潰すのにあれだけ時間を掛けるし、そんなに真新しいかな?と思った。

しかし、どこで読んだか失念したが、「炭治郎には母性がある」という感想を読み、その視点は面白いと思った。
確かに、敵やライバルがいい奴(≒彼らなりの信念を持っている)だったり、長く戦っている内に特別な感情が生まれて、彼らが敗北してしまう事に胸糞悪さというか、ある種の悔しさを感じる主人公は居る。『幽☆遊☆白書』でも、桑原(主人公では無いが)は幽助の事をずっとライバル視していたが、彼が死んだ時には誰よりも怒りを顕にしている。
しかし、炭治郎は「いい奴を殺したから胸糞悪い」のでは無く、鬼から感じ取った、人間だった頃の優しさ・哀しさ等をそのまま受け止め、慈しみ、罪も含めて丸ごと抱き締めるような、"母性"に近い感覚で接している。

"母性"と書くと、作者が女性だから創り上げられたキャラクターだと短絡的に結び付けたくなるが、担当編集者(ジャンプなので男性)の胸を打ち、これだけ多くの人々に愛された作品なのだから、そこはあまり関係が無いと思う。この「炭治郎には母性がある」という感想を読み、『鬼滅の刃』に対する評価が少し上がった。

2.キャラクターの掘り下げ方がほぼ回想シーンのみ

まず、鬼側の立場や魅力を描く方法がほぼ回想シーンのみ、というのはどうなんだと思った。中にはやや感動を誘われた回想(遊郭編)もあるのだが、上弦以下の重要では無いキャラクターには必要無いと思う。

回想シーンが重宝されるようになったのって『ワンピース』のせいなのかな…とふと思ったが、『ワンピース』は味方側しか長い回想シーンは無い。敵側や脇役はたまに入るくらい。
よく考えてみれば、私が好きなミホーク、クロコダイル、バギーにはほとんど回想は無い。ほとんどと言うか、バギー以外は無いんじゃないか?それでも敵キャラや脇キャラが際立ってファンを獲得している訳だ。特に魅力の無い鬼が、死ぬ間際に過去を長々回想しても、知らんがな…としか思えない。
上弦はデザインも凝っていて人間性もあり、何やら気になる雰囲気は醸し出していたものの、回想や設定でしかキャラクターの演出がなされておらず、残念だった。

敵に限らず、味方側にも同様の理由で魅力が感じられなかった。今までどんな漫画を読んでも好きなキャラクターの一人や二人出来たものだが、『鬼滅の刃』では一人も好きになるキャラが居なかった。
辛うじて、伊黒と甘露寺の関係性は可愛いと思ったが、この二人が恋愛関係では無かったらどちらの事も何も思わなかっただろう。

煉獄は、漫画もアニメも知らない自分ですら外見・名前ともに知っていたので期待していたが、良いキャラになりそうだったのに使い方が勿体無かった。鱗滝に続く師匠キャラになり得ただろう。「うまい!うまい!」は作中で印象に残った数少ない台詞の一つである。
しかし、炭治郎と関わる時間は数時間程度で、煉獄の死にそこまで特別な意味を感じられなかった。色んな柱の元で修行するんじゃなく、煉獄の元で修行を積めば良かったと思う。面倒を見てくれて、尊敬していた唯一無二の存在が自分を庇って死んでしまうからこそ、カタルシスを感じるのでは無いだろうか。そして、そんな彼の死を乗り越えた先に「もっと強くなりたい」という想い、成長が待っているのでは無いだろうか。

師匠キャラ好きの自分としてはとても残念だった。鱗滝にも散々お世話になったが、「目標とする人」という感じでは無く、最初の修行以降は名前すらほとんど出て来ない。
ネテロ会長やレイリー然り、めっちゃ強いジジイが「だいぶ歳を取っちまったな」とか言いながらバリバリ最前線で戦う、というのは一定数シビれるファンは居るものだ。

3.パンチの効いた台詞が無い

このように、キャラクターに魅力が感じられないのは、一重にそれぞれの美学が描かれていないからだと思う。
鬼と鬼殺隊で考え方は異なっているものの、ただそれだけで、個人的な思想が無い。それを表現するのは、パンチの効いた台詞にあると思う。

例えば、先にも挙げたが私は『幽☆遊☆白書』が大好きで、この漫画は敵味方問わず名台詞が沢山ある。
敵側で一番好きなのは、鴉の「好きなものを殺す時…"自分は一体何のために生まれてきたのか"を考える時のように気持ちが沈む だがそれがなんともいえず快感だ…」という台詞。鴉というキャラクターは、この試合前と試合中(そんなに長くない)しか台詞は無く、勿論回想も無いのに、これらの台詞だけで強烈なインパクトを与えたのである。
戸愚呂弟と幻海の会話(戦っている時、橋の時どちらも)は、主人公不在で敵と師匠だけの会話にも拘らず、作中屈指の名場面である。

無惨なんて、見た目や存在感だけならそういう恐ろしい名台詞のオンパレードになりそうなのに、思い出せる台詞が一つも無い。
鬼になった理由もたまたま、活動理由も「日光を克服して完全な肉体を手に入れる為」。青い彼岸花or日光を克服した鬼を食べる為に鬼を増やしているのであって、本当はこんな事したくないんですよね的な発言もあった。
完全な肉体を手に入れて、その後どうしたいのかが描かれない。完全な肉体を手に入れても、日本を乗っ取るとか何か悪巧みを企てている訳じゃないなら、珠世に薬を作って貰えばいいのでは…。

青い彼岸花に関しては、連載中色々な考察があったらしい。確かに私も気になっただけに、特に種明かしも無く、最終話でネタとしてほんのり触れられて終わったのは拍子抜けだった。

4.柱に"圧倒的強キャラ感"が無い

これは恐らく、「普通の人間がそんなにすぐ強くなるわけない」と修行シーン(これについては後述する)を何度も盛り込む様な作者が(『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話)、リアリティを重視した結果なのでは無いかと思う。バトル漫画で起こりがちな過剰なインフレを危惧し過ぎた様に感じる。
確かに、過剰なインフレを起こしてしまうと、初期の敵がめちゃくちゃ雑魚化したり、主人公が覚醒して人間離れしないとならないというデメリットはある。よくネタにされているが、初期の『ワンピース』で近海の主に腕喰われたシャンクス弱くね?といった現象が起こってしまう。

その点に配慮したのは良かったが、それにしても、である。少なくとも、「下限相手に炭治郎、善逸、伊之助が苦戦しているところに柱一人が現れ、一撃で仕留める」くらいの力の差はあって欲しい。上弦にもタイマン張れるくらいであって欲しい。
下限からの戦いは、柱含め数名での辛勝なので、柱が加勢するとなっても心強さが感じられない。

5.バトルシーンが下手

これは前評判で聞いており、読まなかった理由の一つでもある。その通りだった。
まず、鬼殺隊の人達が繰り出す技がどういう技なのか分かりづらい。呼吸による違いもよく分からない。水は流れるような技、雷は高速で動く技、というのはイメージ出来るが、恋とか他のやつは全く分からない。
この点は、アニメ版で解決しているそうで、そのお陰で大ヒットしたという意見も散見される。アニメは未見だが、その通りなのだろう。

また、攻撃に迫力が無い。
『ベルセルク』の三浦建太郎先生は、『北斗の拳』のケンシロウの繰り出す拳が読者のほうに向かっている描写に迫力を感じ、真似ようとしたそうだ。しかし、ガッツは拳では無く大きな剣を使う。そこで考案したのが、「敵を斬ったときに、その斬られた部位が回転しながら吹っ飛んでいく」というものだった(【『ベルセルク』三浦建太郎×『ペルソナ』橋野桂&副島成記】ダークファンタジーの誕生で目指した“セックス&バイオレンス”の向こう側)。ガッツが剣を振るうコマは、重厚感ある剣の放つ威力や迫力が臨場感たっぷりに伝わって来て、こっちまで斬られるんじゃないか、と思わず後退りしそうになる。

『鬼滅の刃』はそういった工夫も技術も一切無い。格好良いフォントで技名が書いてあって、線がビュンビュンしているだけ。何が起きているのか分からない上、ただの白い線だけで迫力なんて感じようが無い。バトルシーンはあるが、バトル漫画が描きたい訳では無いのかな?と感じた。
いや、それ言ったら『ベルセルク』もバトル漫画では無い。そう言えば、作者は平沢進好きらしいし、無限城のデザインも『ベルセルク』のオマージュなんだろう。そこはちょっとアガった。

バトルとは少し外れるが、個人的に良いと思ったのは、炭治郎達がちゃんと修行をする点。修行シーンを退屈に感じる読者は結構居るらしいが、私は好きだ。
「ただのジジイじゃんw」とナメて掛かった人物に圧倒的な差を見せつけられる主人公。敵では無く己と向き合い、自分の適性を理解する。一見無意味に思えた修行の中に、隠されたヒントを発見する。荒削りだった主人公が、徐々に技術を体得していく。師匠との絆、敬愛、兄弟弟子との結び付き、等。修行シーンの魅力は数え切れない。
これまで読んだ漫画で一番好きな修行シーンは、やはり『HUNTER×HUNTER』のビスケによるゴン、キルアの修行だろう(薄々感じられていたかと思うが、筆者は冨樫厨である)。

実戦による覚醒もバトル漫画ならではで面白いが、そればかりではワンパターンだし、フィクションであってもある程度のリアリティが欲しい。小学生くらいなら、「修行すれば"呼吸"使えるようになるんじゃね?」と夢を見られるような要素が修行シーンにはあると思う。

しかし、『鬼滅の刃』はこれだけ修行に頁を割きながら、いかんせん修行内容が面白くないのだ。ワクワクしない地味な内容か、「こういう修行があり、数日後、出来るようになりました」で終わる。
なんと勿体無い。そこで何か師匠との名場面くれや!!と泣き叫びたくなる。

6.ギャグがつまらない

実はこれが一番キツかったかも知れない。まあ、ギャグ漫画以外で声を出して笑うような事はほぼ無いし、これまで挙げた漫画のギャグでもそんなに笑った記憶は無い。
しかし、かと言ってこのように「ハマらなかった理由」として挙げる程気にはならなかった。『鬼滅の刃』はギャグシーンがくどいのだ。他の漫画なら数コマでサラッと終わるのが、長々と続くからしんどい。

つまらないのはそれぞれの感性だから措くとしても、戦闘中のシリアスなシーンでもギャグを持ってくるのは寒過ぎる。
敵側が『ワンピース』のワポルやバギーみたいなキャラだったら分かるが、鬼達はみんなガチだし。無惨と戦っている時に甘露寺が「も〜!!!」みたいなノリで現れた時はびっくりした。普段はそれで良いが、戦闘中くらい格好良く戦ってくれ。

後から作者は『銀魂』好きと知り、この寒いノリにも納得した。『銀魂』は私が中高生の間大流行し、クラスメートの中にも悪名高き「銀魂口調」の女子が居たものだ。
当時、ジャンプを毎週購入していたので『銀魂』も読んでいたが、内容は全くと言って良い程覚えていない(空知先生ごめんなさい)。ただ、『銀魂』のギャグ自体は面白かったと記憶している。作品は面白いのに、銀魂口調の人は全員寒いという謎の怪奇現象を15年越しくらいに体感するとは。

7.炭治郎が考えている事を文字にし過ぎている

これもキツかった。行間もへったくれも無い。説明するまでも無い行動にも逐一説明が入る。
炭治郎は、何か行動する度に「こうなんだ!」「ああなんだ!」「これこれこうだから、こうする!」「頑張れ!頑張れ!」といった考えを全て文字にしているせいで、「そんな考えている時間あったら何かしら攻撃出来るだろ」と突っ込みたくなる。

『HUNTER×HUNTER』も説明は死ぬ程多く、それこそ『鬼滅の刃』の比では無いのだが、念の説明であったり、特殊な技や設定がある都合上必要なだけで(ヒソカVSクロロなんて、あれだけ説明があっても複雑でよく分からない)、説明が要らない部分ではちゃんと絵だけで描写されている。

「行間もへったくれも無い」と書いたが、説明し過ぎる弊害は、「それくらい分かるよ」というツッコミだけで無く、「これはどういう感情なんだろう?」という想像力も潰してしまう。
説明が多いと思われがちな『HUNTER×HUNTER』から例を挙げると、「キルアはいいよね 冷静でいられて 関係ないからっ」の件りは本当に凄い。

『HUNTER×HUNTER』26巻275話

何ですか、キルアのこの表情。
台詞も無く、説明も無く、背景も無く、絵も荒れている(冨樫先生ごめんなさい)。それなのにたった数コマに何百字、何千字もの想いが詰まっていて、でも言葉にはならない。こんな素晴らしいシーンを読んでしまった人間には、炭治郎が考えている事全部丸分かりになる浅さに心底がっかりする。

言うまでも無く、ジャンプは少年誌なので子供が読んで分かりやすい必要がある。しかし、「分かりやすい=頭を使わない」では無いと思う。
上に引用したキルアの表情も、悲しい表情である事は一目見て分かる。その上で、どういった悲しみなんだろう?どんなふうに悲しかったんだろう?自分がもしキルアの立場だったら?と想像を巡らせる事が出来る。
そうして読者一人一人が異なる想像をする事で、物語に深みが増し、その作品が自分にとってかけがえの無い存在になるのでは無いだろうか。

以上、筆者にはハマらなかった作品でしたが、国内のみならず世界中で人気を博した作品ですので、真剣に感想を書きました。
他の作品を幾つか例に挙げましたが、相対的な『鬼滅の刃』sage目的ではありません。今後もこのように他の作品を引き合いに出す事があるかと思いますが、そのような意図は一切ありませんので、「これだから冨樫儲は」と思われませんよう(吾峠先生が冨樫先生を尊敬しているのは、昨年から今年にかけて開催された「冨樫義博展」でも存じ上げております)。

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