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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【2】


2.告白

発症からしばらくは
ひとり悩んでいた。
ようやく信頼のおける
関係者へ話し始める。
しかし当時(90年代中盤)の答えは
『何いってんの?』
的であり、
マジでメジャーじゃなかった。


普段の生活においては、
発症当初のことは
さほど気にせず
過ごしていた。

とあるきっかけが来るまで。

それは
駆け込み乗車であった。

息をきらして
間に合った電車にて
それは
起こったのです。

(まにあった。 遅刻しないですんだ。)

と。安堵の気持ち?
も、つかの間。


あれ!?、呼吸がおちつかない

なんか気持ち悪い…
どうしよう、どうしよう…

ぜったいに
顔面蒼白であっただろう。

え、まさか!
また?飛行機のときのやつ?

不安がよぎると
もう止まらない。
心臓はバクバク、
変な汗、
額はギラギラ💧

発症したのだ。


耐えきれず
途中下車。

駅のベンチで
それが回復するまで
時をやり過ごした。

回りの目が気になる。
雑踏のなか
無理に平然をよそおう。
辛い顔しないでおこう。

そう勝手にカッコつける
ものすごく
つらいのに…

もう会社も間に合わない。
公衆電話から会社に電話

「すいません、午前半休します。」

理由は言わない。言えない。

間に合ったのに、間に合っていたのに、
一体なんなの?

パニックから回復すると
このように自暴自棄になる。

疲れているのかな?

原因不明のまま
不定期に発作は繰り返す。
その程度も様々であった。

不安だけで終われば
途中下車なしで
勤務先までいける。


数週間がすぎていく。
途中下車しない日が
とうとうなくなった。


当時のぼくは、回りの人目を気にする
とてつもない神経質であったようだ。
(これは今振り返ると、そうだったと言えること)

またなったらどうしよう。
電車に乗るたび
こう思うようになっていった。
朝の自動改札が怖くなった。

こんな気持ちに陥っていき
対処方法を探り始めた。

そうだ、
早寝早起きおすれば
倒れることはない。
小学4年生の時に貧血で倒れた時
保険室の先生にそう言われたのを思い出した。
ただ、この時遅く寝た訳ではなかったが…

やはり、その時の思いを
20代でも引きずっていた。

そして今でも、
ただ、たちくらむだけで
最悪な貧血ヒーロー思い出す。

ところが、
はやく寝れば大丈夫と
床につくが
【余計に眠れない】
のだ。


目を閉じるだけで、
満員電車に乗って具合が悪くなる
光景が浮かび、早寝どころか
不眠に陥っていくのだ。

家族に話してみても

『何それ?』
『そんなの気の持ちようでしょ。』

友達に話してみても

『何それ?』
『気にしすぎだよ。弱いなぁ~。』

さすがは昭和を生きてきた
スポ根世代の親、その子供世代の答えは
こんなもんであった。

なったこともない
ひと達からすれば
第一声は
慰めのない時代であった。

まさに、

【風邪をひくのは
気合いが足りない証拠】


この答えが
のさばっていたころで

メジャーじゃなかったのだ。

その近日に勤務先で、
健康診断があり、
問診の際に先生にたずねてみた。

先生『きみ、自律神経失調症だね。』
ニヤケながら自信満々に
そうこたえた。

その時の対処法も
病院に診てもらいなさい。
ではなく、

『規則正しい生活をすれば
そうならないよ。』

医者の答えがこれだ。

ただ、当時はそれが正解と思い込んでおり、
どうしたら良いか、他に選択肢がなかった。

今で言う情報弱者だっだ。

会社の上司(主任)に、
出張を指示されたとき
僕は思いきって話してみた。

「飛行機にのれません」
「たぶん新幹線にも乗れないと思います。」

上司で主任のxさんは
『私も飛行機好きではない。
毎度離着陸の時は、
床に足を力一杯踏ん張っている。』
『だから大丈夫だよ。』と苦笑い

ぼく「そうじゃないんです。」

ん?!
主任は眉間にシワを寄せ
テーブルに肘をついて、手を組ながら
『違うところで話そう』と。

この話がマジであることに
気づいたのだ。

ぼくはことの経緯と、
今の自分の状況をはなした。

そして、はなしの最後に

「とある日より、早起きして
毎日各駅停車で通ってます。」と
締めくくった。

唯一の幸せは
金曜の帰宅時は
不安がおきなかったこと。


つづく

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