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お母さんとわたし2
初めての執筆に4つも「スキ、スキ、スキ、スキ」ってもらってしまい、ちょっとご機嫌なわたしです。嬉しいです。
お母さんとの大まかな関係やお母さんの人柄をどうしても知りたい人はこちらを見て下さい。
https://note.mu/darekato_watashi/n/n15b5eebb2ed5
そんな暇はない人はこのまま先に進んで下さいな。
お母さんが太っちょで食いしん坊なのは前回にも話したことなんですが、丁度今朝も面白いメッセージがお母さんから届いていたんで、ちょっとふれちゃいます。
腰が痛いから10年以上前にお世話になっていた整形外科にかかったのだと。今度MRIを撮ってもらうのだと。
まぁこの辺までは普通の姑と嫁のやり取りなんだが、お母さんはただじゃ終わらない。
「そういえば、お刺身定食の美味しいお店が側にあったことを思い出して、しっかり食べてきました。どこまで食い意地が張ってるんだかと思いながらニンマリです。」
ニンマリしちゃいましたか。
流石、お母さん。
ナイスアクティビテイト。
以前私が、「お母さん、10年以上前に針灸院に通っていましたよね?またそこに通ってみたらどうだろう?」って提案してみたら、
「あれ?そんなとこ行ってたっけね?すっかり忘れてたわよ。」
ってね。わたしはそんな十数年前のことだって、お母さんがあれだけ熱く勧めてくれたからこそ覚えていたのに。熱く語った本人の脳内からは断捨離されかけていた。
「ねぇ、私が通ってる針灸院、すごく良いんだよ。交通事故の後遺症も消えたんだから。もしなんなら行ってみたらどう?体調悪いの改善するかもしれないし。」
こんな風に毎週お母さんが家に遊びにくる度に勧められていた。
家に来る前に針灸院に寄ってから来ていたのだから、ライブ感たっぷりで話すのだった。
旦那にもそのことを話してみたら、
「あれ、そんなこと有ったっけ?てか、言ってたっけ?10年以上も前のことなんて、そりゃ覚えてないだろ。ハハハハハ…。」と、笑われて終わった。
なるほど。
私が執念深いんだな。
なるほど。
いつまでもこんな余計な記憶ばかり脳内に残しているから、新しいことが記憶されずにずり落ちて消えていくんだな。
なるほど。
やっぱり君たちは親子なんだな。
また本題から外れてしまいそうだが、
己が体感した針灸院を忘れても「刺身定食」の美味さは忘れなかったのである。
でも定食屋の名前は分かっていないのだ。
舌に残った刺身定食の美味さとその場所だけはお母さんの記憶にしっかりまとわりついたのだ。
お母さんの鼻、舌、脳のルートはかなり太いのかもしれない。
おそらく毎回食べていたわけでは無いであろうに、お母さんの脳みそを鷲掴みにして十数年もの間、離さなかった刺身定食とは一体、どの様な刺身定食!!!?
しかも、お母さん、刺身は苦手なはず。
寿司は食べられるが、刺身ではあまり食べない…というか、生魚だけでは苦手だといつも話していた。酢飯(炭水化物)が必要なのだ。
針灸院の話題でもう一つ思い出された記憶があった。やっぱりお母さんと食べ物のエピソード。
あれ、「お母さんとわたし」じゃない。もしかしてタイトル、お母さんと食べ物の方がしっくりくるのか?
もとい。
お母さんが針灸院に通っていたのはわたしが丁度、真ん中の子を妊娠していた時で、身重な私のために週一で家に来て家事や上の子のお守りを引き受けてくれていた。
大分後になって、
「あの時はごめんね。毎週押し掛けてしまい…
更に泊まることもあったよね。今日、友達と話している時にその頃の話をしたら、あんた随分重い姑だね。お嫁さんに嫌われるよ。って言われてさぁ。だから悪かったなぁって思ってね。」
そんな話をされたので、素直な気持ちをわたしは話しました。
「あのね、お母さん、わたしはそんな事は考えもしなかったんだけどね。その時どうしても苦しいことがあったんだよ。」
「お母さん、あの頃お昼ご飯にって、必ず神◯屋で惣菜パンを買って来てくれていたでしょう?あれが苦しかったの。」
そう。私が針灸院で思い出した話はこの惣菜パン事件である。
「二人分食べなきゃならないんだから、いっぱい食べてよ!」
と、惣菜パンに甘いパンと山の様な量のパンをビニール袋に詰め込んだサンタクロースならぬお母さんは毎週現れた。
たわいもない話をしながらお昼にそのパンを二人で食べるのだが、わたしが一つ食べ終わる頃、お母さんはもう二つ目が終わる様な勢いで、パンを口いっぱいに頬張っていた。
「美味しいね。」
無邪キングである。
わたしは臨月に近くて一度には食べられないから、二個が限界。
そんなわたしを横目に、「あら、もう食べないの?もっと食べなさいよ。食べないとダメよ。」と無邪キングの押し売りは続く。
そして無邪キング…、いや、お母さんのお腹には毎回4つから5つの惣菜パンと甘いパンが詰め込まれていくのでした。
「美味しいから、つい、食べちゃうね。」
神◯屋さん、ありがとう。
お母さんの胃袋を満たして下さって。
この時は無邪気故に、その気持ちを裏切れなくて、たまに旦那にそれとなく話してみたんだけど、
「残しておけばいいんじゃない。残ったの俺も食べられるから良いよ。」
なるほど。
相談する相手が違ったね。
なるほど。
君も無邪キングだったんだね。
いつも、今でも、わたしは無邪キングな親子にやられっぱなしである。でもよく似た底抜けに優しい親子である。
東京の端っこから横浜まで真ん中の子が生まれるまで毎週来てくれていたお母さん。
正直、今日は頭が痛いから一人で居たいなぁとか思う日もあったけれど、毎週通うのって本当にご苦労なことだ。わたしには出来ないだろうな。
帰りは夜中。
大変だ。老体だし、尚更。
惣菜パンの日々を繰り返しながら、無事に真ん中の子を出産した。
出産を終えた後にわたしは具合が悪く、再入院した。上の子と産まれたばかりの真ん中の子を旦那とお母さんと母さんに任せて。
頭痛が酷過ぎて夜中に目が覚めて病院へ行くまでの間、ずっとわたしの身体を「辛いね。しんどいね。」と言いながらさすり続けてくれていたことはずっと忘れない。
でもね、お母さん、太って心臓悪くしてるんだから、体重増やさないでね。
わたしの頭と心の中のことに興味を持って頂き、ありがとうございます。サポート頂いたお気持ちは私を今まで支えてくれた子供と旦那、沢山やりたい事のあった息子の目になり色んなことにチャレンジするために使わせて頂きます。