お母さんとわたし1
わたしが言うところの「お母さん」は、姑のことなんです。一般的には「お義理母さん」と書くのでしょうが、わたしは「お母さん」と書きます。で、私の実の母は「母さん」なんで、そこで区別しています。
お母さんは一言で表すと…でっかい。
心もでっかいんだけど…そうじゃなくて…でぶっちょなんです。
子供達には「でぶっちょバーバ」と呼ばれてる。
お母さんはそんな子供達に「あら、失礼ね。」と言いながらミニモナカを食べちゃってる様な人なんです。
真ん中の子が保育園に通っていたある日、申し訳なさそうにお母さんに言ったのをわたしは忘れない。
「バーバはでぶっちょだからはずかしいんだ。」
週に一度は東京から横浜まで遊びに来ては、子供達のお迎えに行ってくれていたお母さんに言い放ったのだ。
なんでも、お迎えに行くとクラスのお友達が大きな声で、「でぶっちょバーバだぁ〜!」と叫ぶんだそうだ。
「痩せないといけないよね〜。でも私、意志が弱いからさぁ。ダメだよね〜痩せられないね。」が口癖のお母さんに少し!?いや、かなり物を申したくなっていたわたしは、
「息子よ、よくぞ言った!」
心の中でそんな風に思ったが、すかさずお母さんは「あら、失礼しちゃう。」と笑いながらおやつを子供達と食べていた。
そういえばこんなこともあった。
上の子は小学生になるまでお肉を食べたがらなかった。てか、お肉料理出しても咀嚼して出してしまう。ハンバーグだって苦手だった。
で、みんな大好きマク◯ナルドに行ってもハッピーセットを頼むのに、ポテトしか食べなかった。
上の子の中で、マク◯ナルドは「ポテト屋」だった。
そこで登場が我らのお母さん。上の子が食べないハンバーガーは必ずお母さんが食べていた。しかも凄いのは自分の分はしっかりセットで購入し、それに加えて食べるのである。
還暦のフードファイター。
ショッピングモールへ一緒に買い物に出ても、お母さんは子供達と遊んでいるから買い物してきて良いよと言い、私達夫婦と別行動をする事が多かったのだが、大抵、用事が済み連絡を入れるとマク◯ナルドに子供達を引き連れて居た。
あまりにも頻繁にいるもんだから、これは何だか怪しいぞ…マク◯ナルドに行きたいのは本当はお母さんなのではないか?という疑惑が浮上した。
とは言え、そんなことは聞けないまま時は過ぎた。
だが、その疑惑が「確信」に変わる日はそう長くはなかった。
ある時、お母さんが口を滑らせた。
「私さぁ、毎週水曜日にマク◯ナルドに行ってハンバーガーのセットを食べて、映画を観るんだぁ♪」
おい、おい、おい、おーーーーい!
その時は流石に旦那がお母さんに物申していました。お母さんの身体のことを心配して話してるんだと。
でもその時のお母さんの顔、「あんた何言っちゃってんのよ!」って感じで息子の顔を冷ややかに細い目で見る姿。いかん!このままでは旦那やられる!!と思ったわたしは
「お母さん、本当にこのまま食べ続けたらデブでは済まなくなりますよ!」
つい本音が出たわけです。
「あら、本当に失礼しちゃう。もう食べませんよっ。」と半分不貞腐れたお母さん。
食べるなと言ってるんじゃなくて、控えてねという話…なんだけど…ね…って。
それでもまた孫連れてマク◯ナルドに行ってしまうお母さん。そして孫の残り物を食べようとして息子に叱られたのでした。
お母さんの食べ物エピソードは数知れずなんですが、お母さんがこんなにも食い意地が張っている…いや、もとい。食べ物を粗末にしないのは、生い立ちも影響していると話してくれたことがあります。
お母さんは純日本人だが、戦争中に中国で生まれ物心つく頃まで中国で育った。中国語も家族の中で一番うまかったらしい。戦争が終わり、命からがら船で日本に戻って来たもののそれからは大変な幼少期を過ごしたそうだ。
お母さんのお母さんは妹さんを産んだ際に亡くなられた。その後お母さんは親戚の家に預けられたりしながら成長していく。
親戚の家で過ごしていたお母さんは、家の仕事の手伝いだけでなく、食事をする際にも気を遣わなくてはならない環境だった様だ。時代背景もあるけれど、子供だったお母さんには相当辛かったと思う話だった。
小学生くらいの頃に東京に住んでいた叔母さんの家に遊びに行き、初めて葡萄パンを食べたらしい。出してくれた物だけでは満足できず、袋いっぱいの葡萄パンを叔母さんに隠れて一人で全部食べてしまったそうだ。
叔母さんはまだ幼いお母さんがそんな量を一気に食べたことを知り、心配したそうだ。でも心配はされたけど、叱られなかったと話していた。
親戚宅での生活とは全く違い、叔母さんと過ごした、優しさに溢れた時間は幸せなものだったに違いないと、お母さんの話から想像できた。その時のパンの味は今でも忘れられず、未だに葡萄パンも大好きなお母さん。
だからお母さんは自分に子供が出来たら、そんな辛い思いはさせたくないと思い、桐箱に入れて大切に育てた。いや、もとい。出来る限り不自由なく育てたと話していた。
「だからごめんね。こんなに甘ちゃんな子供に育ってしまったのは私のせいだよね〜。」お母さんがわたしによく言うセリフ。
こんなこと言われたら、お世辞でも、
「いや、そんなことないですよ。大丈夫ですし、◯◯さんはよくやってくれていますから。」と、お母さんと夫を立てるのができた嫁と言われるものなのかもしれない。
でも現実は
「本当に甘いですよ。でもねお母さん、成人したら責任は親じゃなくて、自分自身にあるんですよ。お母さんがそんなことずっと言い続けていたら、彼はずっと変わらないですよ。」これはマジでわたしがお母さんに返す言葉。
かわいくない嫁なんです。
わたしは。
脱線しましたが、
お母さん、苦労人なんです。
自分が苦労したから周りに優しい。
家族だけじゃなくて、みんなに優しい。
分け隔てなく
(好き嫌いなく)
誰とでもすぐに仲良くなって話し込んでしまう(何でも食べちゃう)
だから、お母さんの周りにはいつも人が集まってくる
(食べ物が集まってくる)
わたしは大黒様の様な人だと思ってます。
(風貌が)
保育園で「でぶっちょバーバだぁ〜!」と言われていたのも子供達に慕われていたからなんです。
マク◯ナルドに足繁く通っていたのも己が中毒性にやられたわけではなく、子供達に好きなだけ食べさせてあげたいというお母さんの気持ちだったのだと思います。
お母さんとわたしの関係…姑と嫁です。
喧嘩もします。ガチで。
わたしは自分の親の生い立ちよりお母さんの生い立ちの方が詳しいと思います。旦那なんて、ここに書いた話さえ知りません。
お母さんには「わたしが死んだら棺桶に◯村屋のあんぱんと虎◯の羊羹を入れて頂戴ね。」
葡萄パン入ってないやんけ!
「私がもし延命治療を必要な状態になったら、しなくて良いから、お医者さんに伝えてね。うちの息子達はきっと決めかねて悩むだろうから。」
嫁が先頭に立ってそんなこと言ったら、どんだけ鬼嫁なんやって思われへん?
わたしだって悩むっつーねん!
私たちこんな関係です。
わたしの頭と心の中のことに興味を持って頂き、ありがとうございます。サポート頂いたお気持ちは私を今まで支えてくれた子供と旦那、沢山やりたい事のあった息子の目になり色んなことにチャレンジするために使わせて頂きます。