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勉強の土台としての読み聞かせ

読み聞かせは、勉強の土台づくりの1丁目1番地です。

わが家では、1番目の子が生まれて6カ月から、ずっと読み聞かせをしてきました。2年半ごとに2番目、3番目、4番目が生まれたので、4番目が生まれるまでエンドレス状態でした。(後に書きますが、4番目の子は読み聞かせが中断してしまいました)

読み聞かせの対象は、昔話です。昔話という言い方はありふれているでしょうが、注意が必要です。昔話は、むかしむかしから、名もなき人々が子や孫のために語りついできた宝ものです。文字で書かれた作品ではなく、口で語ってきたものです。作家が創作した児童文学ではありません。ディズニーなどのエンターテインメントでもありません。素朴な、素朴な、語りつがれたお話です。現在は、各家庭で子や孫のために語るということが行われなくなり、かわりに書籍として手に取ることができます。ただし、素朴な語りが、文学作品のように改変されているものがとても多いです。

なぜ素朴な語りでないといけないのか、その理由を説明するには、難しい理屈を言わなければいけなくなるので、ここでは深入りしません。

素朴な語りをそのまま書籍にした昔話の本・絵本をどう見分けたら良いか。図書館の司書さんならご存知だと思います。自分で見分けるなら、ざくっとした目安で、かわいい作り、おしゃれな作り、華やかな作りではなく、素朴でシンプルな昔話の本・絵本だと、おおむね大丈夫でしょう。100%正確な基準ではありませんが。

本物の昔話(語られてきたそのままのお話)は、力を持ちます。対象年齢はこだわらなくてもいいと思います。6カ月の赤ん坊が聞いたって、理解はできません。あちこちうろうろするかもしれません。無理に押さえつけたり聞かせたりするのはやめましょう。聞こうと聞くまいと、自由にさせてあげてください。子どもが聞いているという設定で読み聞かせを続けてください。毎日続けていると、何となく心地良くなっているのか、聞いているのか聞いていないのかわからないながらも聞いているように見えるようになっていきます。やがて少しずつお話を理解するようになっていきます。言葉に忠実な論理的な理解でなくても、なんとなく雰囲気がわかるようになれば上出来です。そうなると、読み聞かせをせがむようになるでしょう。

さて、本物の昔話は、幼い子どもにだけ有効なのではありません。小中高生であろうと、大人であろうと、心底おもしろいものです。そうです、読み聞かせをしている大人(親とか先生とか、そうではない誰かとか)自身が楽しいはずなのです。

昔話の楽しさは、根源的なものです。いまの時代、テレビやスマホやゲームや様々な娯楽・エンターテインメントがありますが、それでも昔話の楽しさは他の追随を許さない根源的なものです。

前回の記事で、「やるべきでないことについての禁止・制限は控え目にしましょう」と言いました。やるべきでないことに、テレビ・スマホ・ゲームなどが相当することは察しがつくでしょう。そのとおりです。でも、禁止や制限は逆効果です。もっと楽しいことを知れば、「やるべきでないこと」とのつき合いも、ほどほどにおさまってきます。

口うるさいことを言わず、おおらかに、やさしく子どもたちに接することができるなら、きっとうまくいくでしょう。

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