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勉強の土台とは?

私は学生時代から中高生相手に家庭教師をたくさんこなしてきました。中高生相手だと、何をおいても定期テストが重要です。定期テストで各科目10点ずつ程度上げることは容易です。誰が問題を作っても問わざるを得ないことはあまり変わらないので、問題に出るポイントを教えればいいのです。

ところがそれは、本当の学力ではないでしょう。目の前のテストの点数が上がれば親も本人も喜びます。家庭教師の役割とすれば、結果が出たことになるでしょう。ただ、受験は必ずしもうまくいきません。家庭教師の依頼があるのは成績が低いというケースが多いです。勉強の土台ができていないと痛感するケースが多いです。なんとか力になりたいと心底思うのですが、本当の学力を伸ばすことは容易ではありません。

勉強の土台ができていないということは、先生の話を聞いても理解ができず、教科書を読んでも理解ができず、つまり言葉を理解できないので、考えることができない、というのです。

言葉とは、テレビのお笑い番組の言葉とか、友だちとのおしゃべりで使われる言葉ではありません。勉強で使われる言葉のことです。ちょっと難しい言い方をすれば、抽象概念を扱えるかどうか、仕組みを考えて構造化ができるかどうか、という話です。小学4年生ぐらいから勉強において抽象概念とか構造化とかが要求されるようになっていきます。だから、4年生か5年生ぐらいから、できる子とできない子との差が明確に開き始めます。このように開いていった差を中高生になってから埋めるのは容易ではありません。

このような言葉を理解する、つまり、話を聞いたり、本を読んだり、考えたりする力はどうやって養われるかというと、幼少期の過ごし方が非常に重要です。

勉強について意識の強い親は、幼少期から大切なことに取り組んでいます。幼児教育、早期教育といわれるようなものではありません。「幼少期の大切なこと」はじつは、多くの方が似たようなことを言っています。その「似たようなこと」を理解し、実践している親が一定数います。

そのように育った子たちは、必然的に「できる子」となっていきます。遺伝ではありません。幼少期の環境です。ただ、その環境は子どもたち自身で選ぶことも創ることもできません。それを私は「勉強の土台」と呼んでいます。

わが家では、勉強の土台を、これ以上できないというくらいに追求しました。

ところで、幼少期にそのような環境をもたずに中高生になった人、大人になった人は、もうダメなのでしょうか? そんなことはありません。これからの時代は、人生、何歳でも学び続けることが必要です。遅すぎるという年齢はありません。ただ、高校生になってから土台を作り、難関大学に現役合格できるか、という話は時間的に無理です。目の前の受験に間に合うか、というのと、人生における学びは別の話です。

土台づくりについては、次の記事で具体的にお話しします。

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