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「思考ぷよぷよ」を消してみた


ここ半年くらいずっと考えていたことがある。
それは、「心の声問題」である。

例えるなら、ドラマ『孤独のグルメ』のように、考え事や心の声を、頭の中でずっと喋り続けるという人が、結構多く居るらしいのだ。


それをXのポストで見かけてから、「そういえば自分は、どうやって思考しているんだろう?」と気になり始めた。


私は、「頭の中で喋り続ける」ということはなく、言葉ほど洗練されていないボヤッとした観念みたいなものが、頭の中にモヤーンと浮かんで、それぞれに感情や記憶がまとわりついているような感覚がある。
人様に話すとか、文章として書く段階になって初めて、それらの漠然とした塊を言葉にする作業が発生する感じだ。

イメージ的には、ゲームの「ぷよぷよ」に近い。同じような考え事の塊がある程度まとまると、「よし、言語化しよう」という気が起きて、文章や喋り言葉に変換する作業が始まる。

逆に言うと、まとまって言語化するまでは、単体で意味をなさないような考え事が、心の中にずっと溜まり続けている、ということになる。

ここまで考えてみて、私がいつも無駄に疲弊して、気力がすり減っているのは、この「溜まり続けるぷよぷよ」が心や脳のストレージを圧迫しているせいなのでは?と気づいた。


そういうわけで、余計な考え事を、意図的にしない努力を始めた。

初めに感じたのは、不安感だった。
これまで常に思考がポコポコ生まれ出て賑やかだった脳内が、急にシーンとなってしまって、大変心細いし、このままでいたら「自分らしさ」みたいなものがなくなるんじゃないか?などと、アイデンティティの危機さえ感じた。
いつも何かを思い出して、ずっと何かの情報を取り入れて、不安がったり事前シミュレーションしたりして、脳が忙しくないと、自分が自分でない気がしたのだ。

確かに、今までnoteやXに投稿する文章は、そういったやかましい思考の中から、似通ったものを集めて形にすることで書いてきたから、急に「文章の種」がなくなって、「何をアウトプットしたらいいのかわからない・・・・」と路頭に迷ったりもした。

もちろん、そんなものはマヤカシなので、思考をやめることに取り組み続ける。
もう疲れたくない。もっとシンプルに生きたい。


さて、ある程度実践してみた結果。
「私の思考が黙っても、世界は十分にうるさい」ということをすごく感じている。
うるさい、というとアレだが、要は、充分賑やかだということだ。

ドラゴンボールの主題歌の「頭空っぽの方が夢詰め込める」の歌詞に納得する。
下手な思考で頭をいっぱいにしていては、世界に溢れている面白いことを取り逃してしまうから、基本何も考えずに、目の前のことを受け入れ続けるだけでOK、ってな気がする。

それに、「思考ぷよぷよ」が積み重なっていない、全部クリアな状態というのは、とてもスッキリしていて気分がいい。
もちろん、どうしても感情や思考が浮かんできて離れないこともある。でも、浮かんできても放っていれば、気づくとその塊は消えている。
「そこにピントを合わせなければいいだけなんだ」と気づいた。


人生に正解はないというが、唯一あるとすれば、自分が快く過ごすことが正解だ。
過剰な思考をやめることが、今の自分には、すごく正解に近いような気がしている。

この取り組み、もう少し続けてみようと思う。
最終的には、「そういえば、最近疲れてないな」とふと気づくのが目標だ。

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