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大長編ドラえもん『夢幻三剣士』は夢オチ映画なのか

ラストシーンが不気味すぎると噂の『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』について、夢世界の観察を趣味とする私が考察してみる。
ネタバレあり。

ストーリーの混乱


『のび太と夢幻三剣士』は、夢の世界を舞台とした長編作品。

「気ままに夢見る機」というひみつ道具を使い、見たい夢を自由に楽しむのび太。ドラえもんに頼み込んで買ってもらった、高額な“夢のカセット”が、タイトルにある『夢幻三剣士』である。
夢の世界で、剣士として“ユミルメ国”を救い、王女と結婚するハッピーエンドを目指し、冒険を続ける。
しかし『夢幻三剣士』の世界は、夢だけでなく、現実にも影響をもたらし始める――という物語である。


原作者をして「一種の失敗」と言わしめた今作。組み立てが曖昧なまま書き進めた結果、思ったようなラストに着地しなかったらしい。
確かに、話がまとまり切らないまま時間切れになってしまったのか?と感じる部分もあった。
そもそもタイトルが「三剣士」なのに、三人中二人(ジャイアン、スネ夫)は最終決戦を前にフェードアウト、敵にトドメを刺すのはしずかちゃんという混乱ぶり。
キーパーソンである「トリホー」ですら、結局何者であるか明かされず、不気味さだけを残している。
最大の危機を脱したのも、のび太のママが「夢見る機」の電源をたまたまオフしたおかげだし、せっかくのファンタジックな大冒険なのに、全体的に消化不良感は否めない。

怖いと噂のラストシーン


さて、問題のラストであるが、あまりにも不気味な印象を残すものであったため、「のび太たちは夢の世界に閉じ込められてしまったのではないか?」と言われている。
これがラストシーンの構図。

山の上に聳え立つのび太の学校


明らかに通常の登校風景とは違う景色だ。
参考までに、映画の序盤に登場した学校のシーン。

トリホーとの出会う直前のシーン

ラストシーンとは位置関係が異なっているのがわかる。

のび太たちは夢の世界に取り残されてしまったのか?


物語中盤で押された「夢と現実を入れ替えるスイッチ」が解除されておらず、明らかに現実とは違う景色が広がっているということは、このラストは確かに「夢の世界から出られなくなった」ようにも思える。

しかし、個人的に夢というものを研究している者からすると、これは「覚醒の直前に見る、限りなく現実に近い夢」のように思える。

醒め際の夢に現れるイメージの優先順位は、
「現実>夢」、「ビジュアル>概念」
であることが多い。

件のシーンは、「ビジュアルは学校(現実)だが、概念としてはユミルメ城(夢)」だと解釈できる。
学校とユミルメ城のイメージが重なりつつも、現実っぽさが少し勝っているため、のび太の認識は「しずかちゃんと学校に向かっている」でありながら、その裏には「ユミルメ城で王女と結婚式を挙げる」という意味合いも含んでいる。
これはいかにも「夢から醒めた夢」らしい構成のように思える。

会話の途中で唐突に花嫁姿になるしずかも、のび太の願望が見せた夢であろう。
「しずかちゃんとの結婚式がしたかった」というのび太の願望と、「でも、そろそろ朝だから学校に行かなくちゃ」という現実的な考えが折衷され、「登校中にウェディングドレス姿」というシュールなイメージに反映されている。

のび太の心象風景をアニメ的に表現しただけ、とも言えそうだが、心象によってビジュアルが曖昧にうつろう感じは、夢特有の、不定形なイメージの表現と見てもしっくりくる。

さらに、通学路にのび太としずかちゃんの他に人影がないことも、「それがのび太の夢=願望だから」と説明出来るのではないか。



個人的に「これは」と思ったのが、空の色。このシーンの緑~黄色の違和感が目立つ。
白んだ早朝の空というよりは、夢の中特有の「現実っぽいけど微妙に違う」感覚の表現と私は受け取った。

朝焼けにしては緑~黄色の主張が強い


劇中でカセットの説明を受けたのび太が「僕がスーパーヒーローになれば、夢から覚めても少し強くなっているんでしょ」と言っていた通り、これはのび太が夢の世界での経験を引き継ぎ、現実でもちょっと成長したことを暗示する「夢」なのではないか?というのが私の結論である。

のび太はこのラストシーンの後で、この“現実のような夢”から醒めて、本当の現実(大長編の出来事の干渉を受けない、通常の『ドラえもん』の世界)に帰っていくのではないだろうか。

ヤケクソが生んだシュールエンド

とはいえ、夢か?現か?何の説明もない不気味なロングショットで物語が終わり、武田鉄矢によるご陽気なエンディング曲で強引に締め。
まるで、「はいはい良かったね!もうこの話は終わり!帰った帰った!」と言われているような投げやりさを感じないでもない。

なぜ『夢幻三剣士』はこれほどまでにヤケクソじみた展開になってしまったのだろう。
F先生の言う通り、不本意に進んでしまう物語を何とかまとめようという苦心の形跡がそれなら、物語終盤の無茶苦茶具合は、夢というものの支離滅裂性を言い訳に、どうにか一応の形をつけて「まとめたことにした」結果なのではないか?なんて邪推してしまう。

しかしそのおかげで、考察の捗る作品となったとも言える。
どこからどこまでが夢なのか?トリホーは一体何者だったのか?謎は尽きない。
そういう意味で『夢幻三剣士』は、何度でも楽しめる、異色のドラえもん映画と言えるだろう。


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