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自分の人生は自分のもの

私たちは日々、様々な声に囲まれています。

社会からの、”常識”とされる声。

親からの、”期待”を含ませた声。

友人からの、”羨望”混じりの声。

親戚からの、”心配”という偽りの優しさで語られる声。

人は弱い生き物です。
だから何が正解かを求め、人に意見を求め、人に承認を求め、そして貰えなかった愛を求めます。

しかし、その相談した相手自身も何が正解か分からず、でも知っているふりをしていないと、と思って語られる言葉は、その人の色んな想いが混ざった主観的なものです。

この世の誰一人として、正解が何か、自分のやっていることが100%合っているかどうか、分かっている人はいません。

Nobody knows what they're doing.

これはよく、英語の会話で出てきます。

どんな起業家も、どんなに成功しお金持ちでも、全てを理解し、明日どうなるかまで分かってて生きている人はいません。

今、良しとされる職業や生き方も、数年後、数十年後と全く反対の意見になるかもしれません。

大事なのは、自分が本当に価値があると思うものを見つけ、自分の生き方を決め、どんな人間としてこの世を後にするかを考え、それを誰がなんと言おうと、信じ続け、行動し続けられるか、だと思います。

私自身、今までは半分、他人の人生を歩んでいる感覚でした。

親の意見、世間の目、友人や親戚の声、様々なものを真剣に受け止め、良い悪いや、やっていいこと、やってはいけないことを全て自分以外の声に従って生きてきました。そして少しでも傷つくようなことを言われると、それも鵜呑みにして、私はやっぱりダメなんだなあ、なんて思っていました。

それは自分の声を聞く時間も勇気も自信もなかったからだと思います。

他の人の言う通りやっていれば平和を保てるし、なんとか上手くいくだろうし、何かあってもその人のせいにできる、と無意識に思ってきたのかもしれません。

しかし、他人は意見をコロコロ変えます。
私の人生は所詮、他人にとっては”ひとごと”だからです。

そして辛い思いをしたり、生きづらさを抱えながらも、必死で生きることになるのは、他でもない自分です。


あなたの人生はたった一度きりの、長くて100年ほどのものです。

そう思うと、一時的にそばに居る人の意見を真剣に聞きすぎて、惑わされるのがどんなに勿体無いことか、わかるのです。

親の意見に従って、生きづらかったら、その親が亡くなり、その後も生き続ける自分はどうなってしまうでしょう?世間が違う方向に向かい始めたら、自分が世間に流されて始めた職業の意味はなんだったのでしょう。友人の”やめた方がいいんじゃない?”と言う言葉で、本当にやめてしまったことがあったとして、その友人と疎遠になった後、本当に止めるべきだったのかともしかしたら後悔するのでしょうか?

人の目は気になるものですが、本当に大事なものを失ったり、やりたかったことを諦めて生きるより、バカにされても、何を言われても、信じて、やり続けるべきだと思います。
そう決めると、自分を攻撃したり、ひどいことを言ってくるような人の声が、心までは届かなくなります。”なんか言ってるけど、この人、自分の大事な価値観とか本当にやりたかったこととか分からないから、私に当たってるんだなあ”と思うようになります。なぜなら、他人に平気で傷つくような言葉を吐ける人は、劣等感を持っていて、自分が欲しいと思っているものをすでに持っている人に向けて吐かれることが多いからです。

私が自分の声を聞けなかった、中でも意外な理由は、”平和”を常に保ちたかったから。
和を取り乱すことは、よくないことだと刷り込まれてきたからだと思います。
しかし、人間は人それぞれ辿ってきた道も、性格も違い、常に同じ意見だったり、同じことを自然とできるはずがありません。人に自分の反対意見や、話しずらいことを話す、ことはとても大事なことです。それができて初めて、信頼関係のある良好な関係だと言えます。それは夫婦でも親子でもなんでもです。


何があっても自分を責めず、受け止めて、信じてあげてください。それが、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく”自分”という、唯一無二の存在を愛することだと思います。


今日も皆様が、本心に従って生きられますように。



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