見出し画像

死ぬこと以外はかすり傷って違くない?って話


私の元恋人は言っていました。

「死ぬこと以外はかすり傷だからさ。って父親も言ってるし。」

彼の父は医者で、毎日患者が亡くなるのを見ているから、死ぬこと以外は、死なないから大したことはない、傷ついても挑戦すればいい。そういう根性論らしい。

しかし、わたしはこの時、この人と価値観ちがうな、と思いました。

そもそも、「死」には痛みも感覚も伴いません。死にゆく、その死に至る過程では痛みも苦しさも伴うことはありますが、「死ぬ」は客観的に見てその人が「死ぬ」のですが、本人は感覚も痛みもないはずです。(死んだことがないので、本当はどうなのか分かりませんが、基本的には無になると仮定します。)

そう考えると、死ぬこと以外はかすり傷、という定義自体がおかしいと思いませんか。

もしそう考えたら、生きてる間の壮絶な苦しみや悲しみも全て、死なないんだから大丈夫でしょ、と凄く軽くあしらわれている感じで、とてつもない冷たさを感じませんか。

たしかに、医者であれば毎日死にたくないのに死にゆく患者、その姿を見て嘆き悲しむ家族などを見て、死ななければいくらだってやれることはあったのにって思うでしょう。
でもだからといって、傷ついた人、深い悲しみにいる人など、表には現れない形で苦しんで、心の中で一度死んだようになった人を見て、死ぬこと以外はかすり傷なんだから、大したことないじゃないか、頑張れよ、とは絶対言えない。絶対に。


偉大な哲学者ショーペンハウアーは、生きることは苦しみばかりだ、と言っていました。
大人になると分かります。その本当の意味を。
だから、その生きている間に味わう苦しみを「死」と比較するのはおかしいです。
生きている間に感じる、人間としての様々な葛藤をまるで帳消しにするような感じです。
むしろ、死によって、苦しみから解放される、という考えも宗教では、あるでしょう。
また、自分の価値観に沿って、自分に正直に生きていたら、いつ死んでも悔いはない、とさえ思うようになります。その価値観に沿って生きることに伴う、人間としての葛藤自体がどんな人にとっても大変でしょう。

それに、苦しみばかりだからこそ、美しいもの、優しい心、人の温かみ、全てを感じられるのです。それは苦しみも傷ついた心も「かすり傷どころではない」と感じるからこそ、です。
逆に「この苦しみは、死ぬことに比べたら大したことはない。もっと頑張らなきゃ。」と自らを奮い立たせ、自分を追い詰めすぎた結果、鬱になる人も多くいるでしょう。それで自ら死を選んでしまったら、元も子もない話だと思いませんか?


人の痛みや苦しみは、本人が1番感じていて分かっています。それをまるで知ったかぶりをして、あなたの痛みや苦しみは大したことないです。弱さや甘えです、なんていう人を私は許せないです。きっと、これが私の大事な価値観です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?