運とはなにか
最近とてもホットなワード「運」ですが、いまひとつその実態は分かりません。私は、夏休みの貴重な時間を割いて、「運」の解釈について言語化していこうと思います。そういう自由研究です。
人間は社会的動物
私たち人間は、基本的には1人では生きていけません。集団で群れを作ってお互いに助け合いながら生きています。まずは生きるために、ともに働く。それが昔は集団での狩りだったり、農村での助け合いだったり、現代では会社での仕事だったりします。
人間は決して合理的な生き物ではありません。論理的に正しいことだけをやっていても、チームでの成果が出なかったりします。人間は感情に左右されやすく、義理や人情で動き、そうした結果平常時よりも大きな力を発揮して苦難を乗り越えたりします。つまりジャンプ漫画ですね。
西洋 vs 東洋
合理的で、きっちり説明できる事象は「西洋的」です。西洋医学はどのようなメカニズムで身体がどうダメになっているかを明確に示し、そこに有効な治療なり投薬をします。とても分かりやすく、現代社会では広く支持されています。
一方、メカニズムがはっきりとは分からないけど、経験的に効果があると分かっている、非合理的だけどなんかいいものが「東洋的」です。東洋医学の漢方とか鍼灸とか、確かに効果があるんだけど、今一つ説明できない。気のめぐりをよくすると言われてもピンときません。
こうした西洋と東洋の違いは医学だけにとどまりません。
いろんな業界で、西洋と東洋の違いが見受けられます。共通していえるのは、西洋の方が分かりやすくて受け入れられやすく、東洋は理解されなくてないがしろにされがち。でも、こうした説明できない東洋的アプローチこそが、非合理的な人間の群れにおいては大事だよね、というのが東洋を知る人たちの共通見解です。
風水と運
実際に、大きな社会的群れを管理している方からも、西洋的アプローチだけでは限界があるという体験談がありました。
人間の意志決定力なんてゴミみたいなもので、結局は与えられた環境のなかで短期的な判断を繰り返しているにすぎません。だからこそ環境を整えるのが最も大事なことであり、それこそが風水です。
風水の詳しい解説は以下をご参照ください。
風水といえば「玄関に鏡を置くと運気がアップ!」みたいなやつを思い浮かべるでしょう。まさにそれです。なぜか分からないけど、環境を変えれば自然と行動が変わり、運がよくなるのです。これが東洋です。
でも、おそらく皆さんは、こうした風水も西洋的に理解しようとすることでしょう。「玄関に鏡があれば、出かける前に自分の身だしなみがチェックできて、外見を整えることができあり、忘れ物に気付きやすくなったりするから、結果的に商談がうまくいきやすくて、運気がアップするって言いたいだけだろう」と。
その解釈も正しいでしょう。東洋は経験則、西洋は論理であって、最終的には同じ回答に行きつくはずです。たとえば「心理的安全性」という最近メジャーになってきた概念も、もともとは東洋的なアプローチをGoogleが西洋的論理で説明したものだと思います。
ただ、この世の中にはまだまだ論理で説明しきれないことが山ほどあります。自然科学ですら解明されていない謎がいっぱいあるのに、まして人文科学なんて、わかっていることの方がほんの一握りでしょう。
そんな中、西洋的に説明できるものだけを是としているようでは、多くの未解明のものを見落としてしまいます。そこに目を向けるには、現状では東洋的アプローチしかないのです。
短期的な問題、少人数の問題であれば論理的にも説明しやすく、西洋的アプローチも有効ですが、問題が長期的になればなるほど、大人数になればなるほど、様々な要因が複雑にからみあってうまく説明できなくなります。そうした場合ほど、東洋的アプローチが効果を発揮しやすくなります。
運を高めるための儀礼
「運」というのは、つまり東洋的アプローチでものごとがうまくいく、という経験則を一言で表したものなんですね。
では、どうしたら運を高めることができるのでしょうか。
大リーガーの大谷翔平選手も、運の良さを上げるための儀礼に取り組んでいたことが話題になりました。
もちろん、「運」というのは各種問題に対する東洋的解決の結果なので、画一的にこれをやればいい、なんて言えるわけなくて、やっぱりその場その場における最善手があります。でも、それらをひっくるめて端的にオススメできる東洋的最適解が「儀礼」なんだと思います。
儀礼についての雑な解説は以下をご参照ください。
理解できないものを受け入れること
東洋、運、儀礼といったアプローチがどうして流行らないのか。それを突きつめると「理解できないものが怖くて受け入れられない」になるのではないかと思います(個人の感想です)。
自分の分からないこと、知らないことは、端的に怖いです。分からないことを分からないまま受け入れるのは訓練が必要です。その訓練こそが「くらがりチャレンジ」だと思います。
くらがりチャレンジによって分からないものを受け入れる素地ができたなら、あなたも少しずつ東洋的アプローチができるようになると思います。
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