意味不明だからこそ意味がある「儀礼」

儀礼を理解することは、社会を理解すること。
めっちゃ重要な概念。

儀礼とは何か

儀礼とは、<わたしたち>が定期的に行っていること。
朝の挨拶、おはようございます。
ご飯を食べるときは、いただきます。
毎週日曜日は教会で礼拝。

え、礼拝はしないって? それは、あなたが礼拝をする<わたしたち>とは違うグループだからです。同じ儀礼をする者たちには連帯感・仲間意識が芽生えます。そうやって、<わたしたち>とそれ以外を区別するために行うのが儀礼です。

だから、儀礼は無意味であればあるほど、意味がある。どうしてこんな無駄なことをするのか? 普通の人ならやらないようなこと。それをやっているのは<わたしたち>だけだ。一体感が強まる。

部活のはじめに無意味に走り込みをする。
仕事をするためにとりあえず満員電車に乗る。
朝礼で部長の話を聞く。
学校にかわいくもない制服を着ていく。

儀礼も、もともとは意味があったかもしれない。
今でも意味があるかもしれない。
走り込みをして体力をつけることは大事かもしれない。
でも水を飲まないで我慢することは意味がないかもしれない。
意味があってもなくても、深く考えずに定期的にやるようになったら、それは儀礼だろう。

儀礼と贈与

前回、贈与には適切な理由があると便利、という話をした。
誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、何かしら理由があれば贈与がしやすい。そういう儀礼を積極的に使っていきたい。

お歳暮、お中元、年賀状などは、疎遠になった人との関係を維持したり、呼び起こすチャンスだ。
バレンタインデー、ハロウィンなどは知らない人と関係を新しく構築するきっかけとして使える。
節分の恵方巻、土用の丑の日などは、なんの意味もないのに商品を売るための口実として使われている。

結婚式、葬式などの儀礼は、あまりにも有名すぎて形骸化しているが、それでも、やらないよりやった方が、自分の身の回りの人間関係は強化される。
結婚式とか葬式なんて無意味だよね、と思って身内とかごく少数で済ませるケースも増えているが、結果的にそれは自分たちの所属する社会、世間、人とのつながり、<わたしたち>の輪郭が小さくなってしまう。

引き出物、結婚祝いなど、儀礼と贈与がセットになっているものは、さらに強い関係性を作り上げる。
主に儀礼は集団に対する関係性、贈与は個人に対する関係性なので、あなたは<わたしたち>仲間の一員であり、さらにハウで強く結ばれた関係を長期間にわたって維持していこう、という場なのだ。

組織と儀礼

組織というのは、何かの目的のもと、ある程度の人数が集まった集団だ。
理想的な組織であれば、共通の目標に向かって自然と共同していけるかもしれないが、実際なかなかうまくいかない。そんなとき、儀礼を通じて組織の一体感を作るのは重要だ。

朝礼をする。
毎週木曜日に報告会を開く。
社歌をみんなで歌う。
みんなで仲良く残業する。
バンジージャンプをする。

社歌を歌うとか、一番意味が分からない。
だからこそ、普通の人は歌いたくない。参入障壁が大きい。
そのぶん、一緒に歌う人たちは仲間意識が強くなる。

肉体的・金銭的な負荷が高い儀礼は、健康を損なう。
毎週、高額のお布施を要求されたら長続きしない。
なるべく負荷が低いけど、無意味で誰もやらないことを取り入れよう。
そうやって組織を強くしていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?