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今、死にたい子ども達へ

生きてほしい。

まず話はそれからだ。

僕が君くらいの年齢の頃、今のようにネットが発達していたら、
きっと僕も生と死についてたくさん検索しただろう。
だから君にこの記事が届く可能性もあると信じて、
少しでも救いになる可能性もあると信じて言葉を残したい。


大人は汚い。あんな汚いものに成り下がる位なら
自分は綺麗なうちに死んでしまいたい。
君はそんな風に思っているかもしれない。
人はどこかのタイミングで急に子どもから大人に変わるわけではない。
別の生き物に変わるわけでは無いんだ。
君が綺麗な心であり続けたいと願う素敵な子どもなら、
君は大人になっても綺麗な心のままで居続けられるだろう。
世の中には綺麗な物も、目を背けたくなるような物も、
どちらも信じられないくらいたくさんある。
そのどちらにたくさん目を向けて生きるか。
それを選択する自由があるのが大人というものなのかもしれない。
生き続けて、綺麗な物、素敵な物を見続けて、
世の中にそれを少しでも生み出せるような、
そんな素敵な人になってほしい。


自分には才能がない。自分には価値がない。
君はそんな風に思っているかもしれない。
多分君が思うような才能のある人なんて世の中にはほとんどいないんだ。
世界は僕たちが考えるより広過ぎて、
何かで一等賞になることが難し過ぎる。
でも、僕は君達の顔を見るだけで、君達の声を聞くだけで、
明日も生きようって思えるんだ。
周りの人の生きる希望になれるんだ。
ただ生きていてくれるだけで。
それってすごい才能じゃないかと思う。
子どもは宝、そう言われたって信じられないかもしれないけど、
君が生き続けて大人になったら、町行く子ども達の顔を見て
そんな風に思えるんじゃないかな。


家庭が息苦しい、学校が息苦しい、そして自分はそこから一生逃れられないような気がして、もう逃げたいと願っているかもしれない。
世界は僕らが思うよりずっと広くて、
そこから逃れる道は実はいくらでもあるんだ。
何より自分自身の死にたいと願う心から逃げたくて
戦っているのかもしれない。
どこまで逃げたって
自分の心はどこまでもついてきてしまうと思ってしまうよね。
でもそれも、何とか乗り越えれば、時が経てば、逃げられるものなんだ。

僕は本当に死にたいと思った時、ㇷと、
『死ぬのはいつでも出来るから、今以上に現世に我慢出来なくなった時、
今以上に世界に絶望した時に死のう。』
と思ったことがある。
何回かそれは上書きされたけど、死にたいと思うたびにそれを思うことで、逆に心は軽くなったかもしれない。
出来るだけ世界の良い方に目を向けようと思ったり、
心が弱った時はお腹が空いているだけかも、睡眠不足なだけかも、と
今では結構冷静に自分の状態をとらえられるようになった。
しょせん人間も動物だから、そういう体の不調が心にあらわれやすいんだ、と。
もちろんそんな風にとらえられるようになるまでは
たくさん時間がかかったけど、
そして別に自分を救ってくれるものがあらわれたわけではないけれど、
それでも今ではかなり楽に生きられていると思うよ。


これを読んでくれた君が何とか生きてくれたら、
どこかで僕は君とすれ違って、
君の生きる姿から明日を生きる活力をもらえるかもしれない。
そうやって人は支え合って生きているのかもしれないね。
苦しい中、読んでくれてありがとう。
まだまだ、伝えたいことはたくさんあるんだ。
それを今だけで文章にするのは難しいけど、
君がこれからも生き続けてくれたら少しずつでも、きっと。

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