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#41 公共施設にも・・・「想い」なきところに「魂」は宿らない?

そもそも、公共施設という固体である物体に「魂」が宿るかどうかというのは、かなりスピリチュアルな表現なので、完全理系人間である僕的にはあまり得意でない考え方である。

ただ、いろんな公共施設の整備に関わったり、全国各地の公共施設を見て廻ったりしていると、造る側の人(企画立案や整備に関わる人)や管理・運営する側の人に「想い」のない公共施設というのは、実に不幸な運命を辿るというのが僕の経験値として断言できる。

ということで、今回は公共施設が幸せになるか、不幸になるかの明暗を分ける「想い」とか「魂」について触れていきたい。

↓ 近しいニュアンスのことを書いているこちらの記事も併せてどうぞ。


(当たり前だけど)公共施設は行政側の発案で造られることが大半

全国数多ある公共施設であるが、その大半は(当たり前だけど)行政側の発案で造られる。

もちろん「うちのまちにも図書館が欲しい」とか「こんな文化ホールがあったらいいな」とか「プロスポーツにも対応できる大きなアリーナが必要だ」とか「美術館をまちのシンボルに」とかいうような住民からの要望が寄せられて、その声を聞く形で公共施設が整備されていくプロセスはよくある話だし、こういったアプローチの方が現実としては多いかもしれない。

しかし、住民などの声を聞いた上で、どんな施設を整備するかという企画や計画行政組織の中でとりまとめ、予算を工面して、そこから設計・施工に移っていくという順路を辿るのが公共施設整備の一般的な流れである。
昨今の「公民連携」と言っても、まずは行政側がスイッチを入れないと、なかなかプロジェクトには進展していかないのが実情だ。

そういった意味において、公共施設はなんやかんや言っても、行政側でイニシアティブが握られた建築ということになる。

ただ、その発案者である行政側が持っている「想い」とか担当者の熱量に相当する「魂」によって、その公共施設の運命は大きく左右される、ということは役所あるあるだったりする。

お役所仕事とは?

僕たち公務員の仕事は時に「お役所仕事」と揶揄されることもある。
気持ちがこもらず、通り一辺倒な対応をしたり、融通が効かない仕事をしたりする際に、こんな非難を受けることがままある。

公共施設に関わる仕事をしていても同じで、色んな手続きで想像以上に時間がかかったり、型通りの対応や教科書通りの判断を繰り返していると、コミュニケーションを取るべき相手の心証を害してしまったり、関係性がギクシャクしていくことも多い。

そんな時、よく浴びせられるのが、「これだからお役所は・・・」とか「タテ割り行政」みたいな言葉だったりする。

そうならないためには、タテ割りの意識をできるだけ排除し、常に新しい発想を持ち、視点をできるだけ広く捉えていく心構えが重要である。
以前にも書いたが、「職務」としての仕事という視点だけではなく、より広義な意味での「公務」という視点に立った仕事を常に心がけたいところだ。

建てるまでの想い

さて、公共施設は建てるまでの間に、その運命の分岐点は大きく変わる、と僕は確信を持っている。
特にプロセスの川上側に行けばいくほど、その後の運命に大きく影響してくる。
・誰をターゲットにするのか?
・どんな目的、コンテンツにするのか?
・どんな規模のものが必要になるのか?
・どこに建てるのか?
・エリアをどうしたいのか?

・誰がどんな運営するのか?

正直、こういったキーコンセプトを作っていくフェイズでの判断を一歩間違えると、とてつもなく不幸な公共施設が出来上がってしまう。
とはいえ、ここを本当に真剣にやらないとダメなのに、すぐに他人のコピペで済ませようとする人や、外部(多くはコンサル)に丸投げしてしまう人が多いから公共施設はタチが悪い。

人の真似して、人の言いなりになって、挙句、失敗しても責任の所在がないというのが公共施設の闇の部分である。

それこそ、その場しのぎの対応をしたり、人に言われたからとか言い訳をして想いをどこかに忘れきたような事業を立ち上げたり、どうせ自分の金じゃないしみたいな感覚を持っている人がプロジェクトを主導するとロクなことにはならない。
この段階がフワッとしたままでも転がり出したらなかなか修正が効きづらい公共施設なだけに、本来はこのフェイズにとびっきりの想いを込めなければならないのである。

想いをどこかに置き忘れて手法だけを切り出したようなプロジェクトや、PFIで整備したらきっと良くなるとか、どこかの成功した事例の表面だけをトレースしたプロジェクトなんて、上手くいくことなんてほぼないし、想いがこもっていなければ、手段や手法が良くても大抵コケるのがオチである。

さて、上のような事業構想段階から少しフェイズが進んでいくと、次は下のようなフェイズへと進んでいく。
・どれくらいの予算規模にするのか?
・財源はどうするのか?
・どんな事業手法とするのか?
・どんなデザインにするのか?

このフェイズでも大きな分岐点があるのだが、ここで必要以上に大きな予算(何百億円とか)を構えて、なおかつ、まちの起爆剤とでも言うように、著名な建築家とかを招聘し、人口規模にそぐわない立派すぎる建築を造ると、後で大変な目に会う(自虐)ことがよくある。

ちょっと余談になるが、建築職として長く仕事をしている僕からすると、建物が完成してその後にハード的な不具合が生じるかどうかは9割方「設計に起因する」と思っている。
(これはまた別の機会に書きたいテーマでもある)
中には施工不良と言えなくもない事例があるにはあるが、元を正せば設計に起因することであったりと、設計内容によって、その後の運命も大きく影響することになる。
ここは想いの部分に加えてテクニック的な部分もあるが、そこを疎かにしない仕事が求められることはいうまでもない。

建ってからの想い

晴れて建物が完成して、ここから先は運営・維持管理ということになる。
直営施設の場合もそうであるが、民間事業者に運営を委ねる指定管理施設などにおいても、ここにも想いの部分が欠けていれば、当然ながら不幸な運命を辿ることになる。

そういえば、僕の記念すべき初noteでも同じようなことを書いている(笑)

運営する、管理する建築に愛情がなければ、当然のことながら建築はどんどん傷んでいくし、負のスパイラルから抜け出すことは非常に困難となる。
誰が運営するのか?ということを決定するフェイズにおいて、一番重要視すべきなのは、やはり想いの大きさではないだろうかと思う。

あと、施設の名前にも想いが透けて見えるものだ。
「賑わい◯◯館」
とか「ふれあい◯◯センター」とか「◯◯交流施設」といったネーミングの公共施設は全国に数多とあるが、無目的でいったい何の施設だか良く分からないものも結構存在する。
こういった施設では、上で掲げたようなキーコンセプトがはっきりしているものや、正直、本当に賑わっている施設には滅多とお目にかかれない(笑)
残念ながら「魂」はどこかに置き忘れてきたようである(悲)

住民の想いを吸い上げる時に間違ってはいけないこと

つい先日、公民連携の分野で知らない人はいない岩手県紫波町のオガールを訪問し、公共FMフェス in 紫波というイベントに参加してきた。

公共FMフェス in 紫波
イベントの様子
会場の様子

この時にも「想い」に話が展開する場面があった。

公共施設を整備する際に、住民からの想いを吸い上げることはよくある。
それこそ、ワークショップなどを開催し、こんな機能があったらいいなとか、こんな施設が欲しいとか、住民(利用者)の意見を聴く機会は、行政側だけで判断するより、よっぽど建設的なプロセスである。

ただ、ここでミスリードを引き起こしてはいけない。
行政に対する、こんなものが欲しいというリクエストが、必ずしも住民ニーズとは一致しないということである。

紫波町のオガール整備において開かれた住民ワークショップの素晴らしい点は、こんな施設が欲しいという要望ではなく、自分だったらこんな使い方ができるという意見を引き出し、住民一人一人が、自分ごととして向き合ってもらったという点に尽きる。

ワークショップの進め方を切り取ってみても、想いのこもらない形式的なものにするのではなく、こういった部分にも魂を込めなければならないのだと再認識させてもらった。
やはりオガールはすごい。

いつ来ても発見があるオガール

「魂」や「soul」と言えば

最後に・・・僕にとって「魂」と言えばやっぱりこれ。
しっとりバラードに松本隆さんの歌詞が刺さりまくるヒムロック珠玉の名曲。
公共施設とは全然関係ないけど、この曲聞くと僕の魂は鷲掴みにされるのだ。

あと「soul」と言えばやっぱりこれだよね。
津山市民ならきっと誰もが歌える?はずのロックアンセム。
いつか津山市の市歌とかにならないかな(笑)いやマジで!

あっ、ちなみに稲葉さん、来週(2024.8.13-14)には津山(文化センター)でのソロコンサートが控えている。

2017年のB'zコンサート以来の津山凱旋で、僕にとって、実はバースデイコンサートだったりするだが、運命のイタズラか、日頃の行いのせいなのかチケット抽選はあえなく2回(B'z Club-Gym枠と津山市民限定枠)もハズレている(笑)

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