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#17 公務員にとっての「職務」と「業務」と「公務」の違いとは?

公務員の仕事としてよく使う「職務」「業務」「公務」という言葉がある。
ただ、この3つの言葉、意外と使い分けがよく分からないというか、明確な定義があるようで、ないような気もしている。

そこで今回は、僕なりにこの3つの使い分けというか、僕自身の(あくまで個人的な)解釈と、それにまつわる仕事の視点アプローチの違いについて書いていきたい。

以前のnoteで書いた、公共施設を「ミクロ」と「マクロ」で捉えてみるという記事とも関係するため、こちらも併せて読んでもらえればさらに分かり易いのでぜひ。

僕自身、この3つの言葉の大きな違いは視点の広さからくるものだと解釈している。
狭い方から順に並べると職務<業務<公務ということになる。
では次章からは、それぞれの意味することや、実際の仕事に置き換えて考えてみることにしよう。


「職務」について

これは結構わかりやすくて、組織に所属する各人が、組織上の目的を達成するために、それぞれの役割を担う仕事を指すものだとされている。
役所的に言えば、業務分掌として規定されているそれぞれの部門に割り当てられている仕事のうち、個人の業務分担に当たるもの、と言える。

日々の仕事のうち、大半はこれに該当するだろうし、そもそも公務員というのは、常に「職務」を行なっていないとダメということが法律で定められている(マジでw)

(服務の根本基準)
第三十条
 すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条
 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

(職務に専念する義務)
第三十五条
 職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。

地方公務員法 第六節「服務」から関係条文を抜粋

冷静に考えると、なかなか恐ろしい法律である(笑)
これ法律だから、世の中の公務員は忠実にこれを守っているはず。
でも、全力を挙げてとか、上司の命令に忠実にとか、「職務」にのみ従事しないとダメだなんて、まるで軍隊のような厳しい規定のように感じなくもない。

ただ、どうなんだろう?
確かに「職務」に従事しなければならないのは分かるが、個人に割り振られた目の前の仕事をこなすだけって、まるでチェーンストアのオペレーションだけを担っているようなもの。
小さな視点でのみ物事を判断し、他部門との連携や組織全体の視点は抜け落ち、タテ割りを凝縮したような仕事は新しいことが生まれにくい環境を自ら作っているとも言える。

「職務員」だらけの組織では、発想の転換は起こりにくいし、こういった視点だけで仕事をこなしていくと、公務員特有の「てにをは族」を大量に生み出す結果になっているのではなかろうか?

「業務」について

「業務」とは「職務」よりもう少し大きな捉え方で、例えば係とか課といった部門単位としての仕事を指すことと解釈している。

民間企業などでは、日常的な作業ことも「業務」の範疇に含めることもあるだろうが、公務員の場合「職務」という言葉があるので、それと使い分ける意味で僕は「職務」より少し広義な意味として使っている。

使い方として分かりやすい例が、年間や月間で計画を立てる際の、係や課の「業務目標」だとか「業務スケジュール」みたいな時に使うとしっくりくる。
また、市民などに対して、それぞれの部門(係とか課)が担当している仕事の中身を「業務内容」という風に使うことも多いので、これは割と分かりやすい。

部門単位で考えるのが「業務」であり、それを細分化していけば「職務」になるので、各部門の上位者である管理職は、常に「業務」を意識しておかなければならない、ということになる。

なので「職務」と「業務」は常にセットにして考えるのが基本であると僕は考えている。

「公務」について

さて、「公務」については割と定義が曖昧というか、普段の仕事の中で使うことは少ない。
首長とかだと「本日は公務の都合により・・・」とかみたいな使われ方をすることが多いけど、我々一般的な公務員にとっては、仕事のどこを切っても「公務」であり、「公務」でない仕事することが基本的にないので、あまり使うケースは多くないのが実情である。

そんな「公務」であるが、僕は市民やまちを対象として、広く公共の利益に奉仕することを「公務」として捉えている。
「職務」を飛び越え、職場単位の「業務」だけにとどまらず、組織全体の一員としてまち全体を最適化する活動こそが「公務」だと思っている。

つまり、「公務」のターゲットはまち全体に向けられているということだ。

それは日々の作業では決してなく、そこには業務分掌も組織のタテ割りもあまり関係ないというか、もう少し上位の概念である。
「公務」の最終的なゴールや目標は、市民生活を豊かにし、まちを活き活きさせることであり、真の意味においての「最小の経費で最大の効果を生む」事業の実施がその手段となる。

僕の解釈では業務分掌から若干外れることもあるため、「職務」とはずいぶん違ったポジション取りを要求されるのが「公務」である。

仕事をする上で重要な視点と能力

世の中が多様化し、日々目まぐるしく変化している現代社会において、「職務」を全うするだけでは有能な公務員にはなり得ないと、僕は思っている。

現代において公務員に求められているのは、「ミクロ」から「マクロ」までの複眼的な視点を持ち、世の中の変化を許容できる柔軟な思考回路と、「公務」を常に意識しつつ、具体的な課題を解決していけるスペシャリストとしての職務能力である。
つまり「ミクロ」と「マクロ」的視点を同時並行的にいったりきたりしながら、全体最適を見出し、それを着実に実践し解決するという能力である。
これまで高く評価されてきた、正確で早くミスなく事務をこなすだけの「職務員」は昭和時代の象徴であり、そんな「職務」は急速なスピードでAIに取って代わるだろうし、正直、役所の世界もこれから圧倒的な人材不足に陥ることは目に見えている。
「てにをは」チェックなんて、もうすぐ人のする仕事ではなくなるだろう。

令和の時代の公務員に必要な能力は、0から1を作り出すクリエイティビティであり、1を10に展開できる柔軟性である。

まちを「マクロ」と「ミクロ」の多軸で捉える感覚(筆者の研修資料から抜粋)

さて、ここまで「職務」と「業務」と「公務」における視点の違いやアプローチの違いについて書いてきたが、3つの仕事に対して果たすべき目標とかゴールを英語に言い換えてみると分かりやすい。
「職務」=Task
「業務」=Mission
「公務」=Purpose

あくまで、僕個人の感覚であるが、こんな風に捉えてみると理解しやすのではないだろうか。

「職務」と「業務」と「公務」の違いとは?(筆者の研修資料から抜粋)

また、僕たちの職業はあくまで「公務員」である。
「職務員」とは呼ばれないように、常に「公務」の視点を持って仕事に向かうのが「公務員」の果たすべき役割ではないだろうか?

公務員は「職務」より「公務」(筆者の研修資料から抜粋)

ただ日々の「職務」の中で「公務」的視点を持つことは、なかなか難しいことである。
職場の中で行われる一般的なOJTは「職務」を中心として行われるし、「業務」の進捗管理も基本的に「職務」に細分して行われることが通常だ。
そもそも役所という組織は「職務」を中心に仕事をこなしてきたという長い歴史もある。

「公務」的視点の鍛え方

では、「公務」の視点を鍛えるためには、どうすれば良いのだろう?
僕が考える一つの答えとしては、自らが意識的に外部に目を向け、強制的にインプット(読書や人的ネットワークなど)を増やしていくということになる。
いわゆる自己投資というやつだ。

下のグラフは、文化庁から発行されている「国語に関する世論調査」において、読書の習慣や意識についてのデータを元に、筆者が編集したものである。
日本人がいかに読書をしないかということがグラフから一目瞭然であり、特に社会人になってからの読書への意識は目を疑うほどの数字である。

僕自身、仕事の中の「公務」的視点を身につけるためには、読書によるところが大きいと考えているのだけれども、なかなか世の中的には厳しい状況である。
ただ逆を言えば、少しの努力をするだけで他者との圧倒的優位性を持てる状況であるとも言える。

国語に関する世論調査(文化庁)を元に筆者が加工

読書などのインプットによる引き出しの多さこそ、新たなアイデアにつながるし、0から1を生み出すことはAIには絶対できないことである。
部門を超えての課題解決や全体最適=公務的視点こそ、新しい時代の公務員に求められる資質・能力だと考える。

最後に・・・
そういえば、昭和50年代頃に一世を風靡したミクロマンってあったよねw

昭和時代に一世を風靡した「ミクロマン」

令和の時代では、ミクロの視点だけで捉えるミクロマンはもう通用しないはず。(タカラトミーに喧嘩を売っている訳では決してありませんので、悪しからずw)

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