俗物的だったり、所帯じみてきたことへの抵抗

むかしは、「いま流行りのもの」を身につけることに抵抗があった。自分で考えることを放棄してまわりに流されているようで、どこかバカにしていた。それに外見をよくするよりも内面が整っている方が価値があると思っていた。それが最近自分の着ている服は流行から取り残されているのではないか?社会から浮いているのではないか?内面はみえないから外見を先に整えたいという願望がでてきた。

なんでも挑戦したいとか新しいことをはじめてみようかとか、思いっきり髪を短くしてみようかという気持ちにもなれなくなった。とにかく無難に変化なく安定した暮らしをしたい。狭く狭くまとまっている気がする。それだけ手放したくない、大事にしたいものが増えたとも言える。

前までは憧れなかった、手にしたいと思わなかったものを得たいことに動揺している。この間までは、軽く下に見ていたものが地を這ってでもほしい。わたしは変わってしまったのかな。

決して人は外見で判断される訳じゃないと思っているけれど、外見ばかり気にしてしまう。その理由でひとつ思いつくのは産後の変化だ。産後体型がかわり、おしゃれする気力もなく、社会にも取り残されているような焦燥感がある。

親になるって不思議なことで無意識にどこかで子供を守ろうとするのか「親としてちゃんとしなきゃ」みたいな脳になって、社会の中に上手くハマろうとしている気がする。

個性を大事にしようと生きてきたのが、社会の標準、ちょうど良い真ん中あたりを探している。「まともな人間」でいなきゃいけない気がするのだ。

でも、そうやって自分を押し殺して生きていると空虚に感じてくる時がある。わたしってこんなだったかなって思えてくる。だから、このままではいけない気がするのだ。

わたしはたぶん、親として子供に社会の標準を教えることよりも個性を生かしながら社会と溶け込む姿をみせる方が合っている気がする。「周りはこうやっていうし、思うかもしれないけれど、自分が良いと思うことをしていけばいいんだよ」って教えれる方になりたい。

まだまだ生きていく中で、いろんな自分が現われて戸惑うのだろうけれど、そんな自分の振れ幅をどこかで笑っていけるくらい頼もしくなりたい。

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