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僕の好きだった場所から

 誰にでもあるのではないだろうか。自分なりのこだわりのカフェが。
 目の覚めるような眺望だったり、自分が自分らしくいれる場所だったり、大切な思い出があったり。

Parisマレ地区のとあるカフェ

 Parisの5区にある、サンジェルマン通りとサンミッシェル通りの交差点にあるカフェ。
 そこはParisに住んだ頃の「僕の好きな場所」、僕の原点だ。席に腰掛けて交差点の人の往来を眺めていると、Parisにいる実感が湧いた。
 
 パリジャン(ヌ)、通りすがりの旅行者、老若男女、様々な人種・国籍・ジャンル・思想・気分の人たちが行き交う。それは語学学校や大学に通う自分自身の人間関係や日常生活の縮図だった。楽しいだけじゃない、戸惑いや苛立ち、空しさの中で無我夢中の日々。そして交差点を挟んで斜向かいのローマ時代からの浴場跡を覆う木々は四季の移り変わりを伝えてくれた。
 1990年代初頭の二年間。見るもの、聞くもの全てが自分の中のどこかのドアを激しくノックしていた、そんな20歳台半ばの頃だった。

夏期講習を受けたパリ大学ソルボンヌ校

 その後、日本に戻った僕は予想外にもParisにはご無沙汰になってしまい、北米やアジアを転々とすることになる。また違う世界を観ることが出来つつも、もうヨーロッパに戻ることはない気がしていた。フランス語もすっかり使わなくなり、よく聴いていたフレンチポップスにも疎くなった。
 
 あっという間に20年余りの時間が過ぎた。
 僕の好きな場所は「伝説のカフェ」になった。

 ひょんな縁でヨーロッパに戻った僕は、しばらくしてParisでCerise(セリーズ)というデザイナーと出会った。たまたま入ったギャラリーで開かれていた個展の主催者が彼女だった。
 僕とさほど年齢が変わらない彼女はそれまでの生活を全て捨てて新天地での活動をスタートさせ、基盤確立に励んでいる。

「そうねぇ、あと何年あるかなんて考えたことがないわ、、、一年かもしれないし」
 
 14区近くのタイ料理レストランでのランチ後のデザートを口に運びつつ、「残された時間」を彼女はそう表現した。いや、僕たちは取り立ててそれを話題にしていた訳でもないし、会話の流れの中で何気なく出ただけだったのだろう。
 なのに最初に「あっそうなんだ」と軽く感じた震動は秒を追うごとに大きくなり、およそ15秒後にはこれまで生きてきた中で数えるほどの回数しかない強い衝撃にまでその言葉は僕の中で発達したのだった。
 まるで黙っていても自然のままに昇ると思っていた朝陽には実は意志があるのだと知ってしまったような。
 
 その理由はこういうことだ。
 実はその前に僕は久しぶりに「伝説のカフェ」を訪れていた。ヨーロッパに戻ってからParisには既に何度か来ていたが、足を運ぶチャンスは後回しになっていた。

 雨の中、まず足を運んだのは6区にあるリュクサンブール公園で、この場所とはすでに再会を果たしていた。どこを歩いても以前と同じ風景がそこにはある。緑にペイントされた鉄製のベンチに座って毎日のように恋人に手紙を書いていた自分が甦る。そんな自分自身を懐かしく見つめる自分自身がいつもいる。今回もいた。

リュクサンブール公園
リュクサンブール公園の緑のベンチ

 公園を出てサンミッシェル通りを北上すると、ほどなくして5区にあるサンジェルマン通りとの交差点に出た。

 かつての「僕の好きな場所」。
 それは「僕の好きだった場所」に変わっていた。

 交差点周りには白いテントの屋台のような小店が並び、人の往来を眺めることが遮られ、かなり違和感を感じた。はっきり言ってしまえば、殺風景だと思えた。

 それよりも、何よりも。
 エスプレッソを飲みながら交差点を眺めていた「伝説のカフェ」そのものが、消えて失くなっていたのだった。
 そこには時折見かける外食チェーンの看板が掲げられていた。

 店の前で、虚脱感から僕は立ち尽くした。それは恐らくたった数十秒間のことだったろう。
 行き交う人々に急かされるように、その場から離れた。
 少し歩こうと思い、サンジェルマン通りを西に向かって進んでいた。

 冷静に考えてみたら、決して驚くようなことでもない気がした。かなりの時間が過ぎているのだから。
 カフェだけではない。
 たとえばあの頃に自分の周りにいた者たち。そのうちの何人が今もそうだと言えるだろう。もちろん、もし再会の日が来たとしたら、きっと話は弾むだろう。
 ただし、それは再会の日が来れば、だ。もはや取り返しのつかないくらい音信不通の彼らの大半と。
 そういう者たちを、僕たちはたとえば友人と呼べるのだろうけど、彼らだけが友人だと思ってこれからも生きていくのかと思うと、今度は激しい寂寥感が襲ってきた。
 
 オデオン広場に辿り着き、そこからメトロに乗ろうと階段を降りようとしたら、ふいにCeriseのことを思った。

 長い間思い続けた「僕の好きな場所」はもう無い。そこを「僕の好きだった場所」として、いつまでも思い出に浸ることはできるだろう。
 けれど、それよりも僕は今から出逢うものと歩いていきたい。また新しい風景を見ることができる場所を探していきたい。

 また逡巡が芽生える。それができる時間はあと何年あるのか。一年か。数年か。何十年か。

 そんな僕の胸に、Ceriseの言った「あと何年あるかなんて考えたことがない」という言葉は正面から突き刺さったのだった。
 思うがままに進むのよ、と言わんばかりに。

<了>

僕の好きだった場所から


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