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太陽礼拝108回の苦い思い出…/自分の限界を認めて、無理しない・頑張り過ぎない勇気

2019年以前、対面クラス中心で、魔酢苦無しで受けれた時代の苦い思い出…

大晦日の除夜鐘108回になぞらえて、ヨガのポーズの太陽礼拝(一連の動作)を108回する特別クラスに参加しました

家でも、普段のクラスでも10回を超える回数を行なった事はなく、試しにやってみようという心意気は、よかったのですが、、、

クラスの開催時間等の事情で、途中から誘導に着いていくのが困難になり、身の丈に合わない無理や無茶でした😣

普段は無理すると、怪我をしたり、身体を痛めると分かっているので、無理しない・そのポーズは休むという選択肢を選べるはずが、、、

自分だけ108回出来ないのは嫌だ、恥ずかしい、みっともない、そんな姿を見られたくない😥
周囲と自分から低評価を受けるのを怖れが大きくなり、無理して着いていこうとして、、、

…苦行と苦痛に変わりました


もしも過去に行けて、自分に声を掛けて上げる事できたら、、、

☆初めて挑戦して、やってみる事だし、今回は108回出来なくても仕方ないよ

☆開催時間の事情もあるから、今の自分ではペースに着いていけないし、経験したことのない負荷と負担が心身にかかってるから、無理なく・無理せず、休み休みで大丈夫だよ

果たして過去の自分が耳を傾けるかは、分かりかねますが…

マラソンで例えるなら、いきなり経験した事もない長距離を走ろうとする無謀な挑戦…

過去の自分なら、絶対にリタイア(途中棄権)や大会記録が残るまでには完走したいとなっていそうな気がします…

自分の限界を見極めず、無茶・無理をする性質は仕事にも現れ、心身が病んだり壊れたり…

ここ数年、1人1人違っていいだの・個性だの・多様性だの・SDGsだの・ポリコレだのと、建て前ばかりが声高に叫ばれ強化されていますが、、、

実際は、世間・みんなという名で、所属する集団の中で「同じでいなさい・周囲と一緒であり合わせなさい」という暗黙のルールが存在します…

世間・みんなと違ってはいけないし、一緒で同じに合わせられないのはダメですと…

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