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『中井久夫 人と仕事』 最相葉月 著


 中井久夫。日本の精神科医。2022年に逝去。享年88歳。
 精神医学界のみならず、多くの分野に多大な功績を残した。著書は、「詩」について多く言及されている。中井にとっての「詩」というのは、どれほど重要なものだったのか。統合失調症について長年研究してきた中井にとって、詩と統合失調症の研究というのは密接なものだったことが、この著書で語られている。

 

 大嵐の夜が夜に続く。孤独な女は聞く、階段を昇ってくる波の音を。ひょっとしたら、二階に届くのでは?マッチを濡らし、ランプを消すのでは?寝台までやって来るのでは?
 すると、海中のランプは、溺れた男の頭になるでしょう。
 男の考えはただ一つ、黄色だったー。女は救われ、波が退く音を聞き、テーブルのランプを見つめる。
 そのガラスは少し塩が付いて曇っていますね?
                           (「救済の途」)


 前半は夜の描写で、後半は女の空想。いや、すべて女の想像の世界だろうか。現実には存在しないはずのものや人、その不思議さが女性を救済する。想像力の楽しさ、美しさに惹かれ、谷内はこう読み解いた。
 中井の訳は、ことばが自在である。漢語も出てくるが、この詩にあるように、口語のつかい方がさっぱりしている。口語が、深刻な状況、危険な状況(嵐)を、軽くいなしていく。
 「頭」で考えると、恐怖に陥ってしまうが、「肉体」で受け止めると、なんとかなるさ、という気持ちになる。
「頭」(知)ではなく、なにか別のものが人間を最終的に救済する、という感じがする。そういうきっかけのようなものを、私は、中井のつかう口語に感じる。 

 精神療法って、こんなことなんですよ。いままで聞いたことがないような言葉を耳にして、その人が「なんだろう?」と考えるようにすることが精神療法なのであって、言葉の魔術で患者さんを治すわけじゃない。
 患者さんの考えを広げていく。自由にする。そのためには、「またか」ということは話さない。壁に釘を打つときに、同じところになんべんも打ったら固定しないでしょう?「別のところに釘を打つ」というのが大事なんです。
 一人で考えて堂々巡りになっているところに異物を入れて、ぐるぐるをちょっと外すきっかけをつくること。考えに考えて考えすぎている患者が、ふと、新たに考え始めることの大切さ。

  

患者との対話でなぜ描画が有効なのか、と言う質問した時の中井の答え。

 言葉はどうしても建前に傾きやすいですよね。善悪とか、正誤とか、因果関係の是非を問おうとする。絵は、因果から解放してくれます。メタファー、比喩が使える。それは面接のとき、クライエントの中で自然に生まれるものです。絵はクライエントのメッセージなのです。
 ソーシャル・ポエトリーといって、絵を描いていると、たとえば、この鳥は羽をあたためていますね、といったメタファーが現れます。普通の会話ではメタファーはない。絵画は言語を助ける添え木のようなものなんですね。言語は因果律を秘めているでしょう。絵にはそれがないんです。だから治療に威圧感がない。絵が治療しているというよりも、因果律のないものを語ることがかなりいいと私は思っています。

 

中井の新訳は「詩のできごと」「この一編の詩の中で何が起きているか」に焦点を当てている、と語る院生同士の会話。 

 うん、うまく言ってくれたような気がする。「この詩がわかる、わからない」とよく言うけれど、やっぱりそれだけでは皮相な物言いで、その奥に、「この詩ではいったい何が起こっているのか」ということに対する理解と感受がなければ詩を読むのも新聞を読むのもあまり変わらない。「わからないけれど感受できる」という状態だってあるわけだ。 

 

 今の社会は、正解か不正解で、物事を判断しようとする「ジャッジ」思考が蔓延している。世の中どっちつかずというのが許容されない時代のように感じる。それは、白か黒でないグレーのように不明瞭な「分からなさ」に多くの人が不安を駆り立てられるからかもしれない。社会は、合理性、効率性を重視した経済中心の社会というのが前提としてあり、そんな社会に適応できるようにしていくというのが、昔から今日まで続く教育システムである。
 社会に適応できない人は「発達障害」として括られてしまう現代。中井が言った統合失調症になりやすい人が社会から分類管理されたことと同様に。障害というのは社会が規定していると言えないだろうか。

 社会性を重んじるあまり、規則化した言葉に縛られている私たち。規則に準じようといわばマニュアル人間化している。マニュアルにないことをしようとする、人と違うことをすると変な目で見られる、というのも原因なのかもしれない。和を重んじる日本人という体質的なことかもしれない。正答を求める教育のあり方であったり、知りたいことをSNSですぐにアクセスできる時代にあることも大きな要因だろうか。すぐに、正解や意味を求めようと性急になりがちな世の中にあって、言葉が上滑りしているような印象を受けてしまう。
 

 中井にとって、詩を読むことは、因果関係からの解放してくれるものであり、未来へ飛翔するための力を与えてくれるもの、と語っている。
 因果律で物事を捉えていては、言葉というものが息苦しくなっているように感じられる。言葉の持つ力を解放していかないといけない、と。本書を読んで、言葉の力が失われていることに気づかされた。

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