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DXで消える?ワーケーションのこれから

ワーケーションって何だ?

「働き方改革」が叫ばれていた頃、ワーケーションを推進しよう!という動きがあった。(なんか遠い昔のできごとのように感じる)
ワーケーションとは、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を足して合わせた造語だ。

バケーションを取りながらワークができる!うちの地域でワーケーションをしませんか?そうした地域が全国で急増した。今では、叫ばなくても働き方は改革せざるを得なくなっている。この国は改革を叫んでいる間は進まないが、やるときは叫ばずともやるという不思議な国だ。

2つの問題

一つは労務管理上の問題。そのバケーションは、就業時間にどうカウントする?だれが承認する?行く途中で起きた事故は労災でカバーできる?福利厚生の進んだ会社では、就業規則の中に取り込み、就業時間だけをカウントできるように取り組んでいる。

もう一つは、バケーション先で仕事をすることへの家族やパートナーの理解。せっかく海に来ているのに、PC開いて部屋でオンライン会議。休暇に没頭できない。

場所に縛られる施設拘束型とロケフリ型の職場を分けて考える

工場やサービス業など、その場所に行かないとできない仕事を「施設拘束型」と呼ぼう。どこにいてもできる仕事を「ロケーションフリー型」(ロケフリ型)と呼ぼう。

感染拡大防止の観点から事務所への通勤をやめて、テレワークに移行できたのはロケフリ型だ。施設拘束型は、営業そのものができなかったり、時間を短縮したり、疎になるように時差を設けたり、空間を広くとったり、フェイスガードをしたりと工夫を凝らして対応することになった。
社会を構成する上では、どちらも重要な仕事だ。

事務所や工場を離れてバケーション先で仕事ができるのは、ロケフリ型の仕事ということになる。

DXが可能にしたオンとオフの刻み

作業はネットがつながっているところでクラウド上のデータを共有して。打ち合わせはオンライン会議で。評価もオンラインで。給与はもとより振り込みで。会社は、まだ行ったことがありません。そうした新入社員がうまれつつある。

DX(デジタル・トランスフォーメーション)によって、ロケフリ型の仕事は、どこでも、いつでもできるようになった。すると、成果さえ上げれば、いつでも仕事ができ、いつでも遊べるということになった。オンとオフが自分でこまかく刻むことができるようになったのだ。

いいことばかりではない。朝9時に事務所に行って、夕方6時に「あー、今日は二日酔いではかどらなかったなー。」と帰ることでは済まない。自己管理が厳しく問われることになった。

バケーションがなくなる

ロケフリ型にとっては、これまでのようにゴールデンウィークに高いチケットを取って、混んでいる観光地に渋滞の中を行く必要が無くなった。いつ、どこにいようとかまわないのだから、みんなが動く時期を避け、分散して休むのが当たり前になる。

バケーション期間、いやそもそもバケーションという概念自体がなくなる。何もしない、ネットとつながらないデジタルデトックスの期間を除いて、人々は24時間365日、仕事もしているが生活もしていて、遊んでもいる。「仕事時間以外は仕事のことを忘れる」そんなことができる人は、これまでもいなかった。槍ヶ岳に登っている途中にスマホに仕事のメッセージが入ることだってある。「今、山頂へのアタック中なので、あとで返事します。」と定型文を返信すればよい。

ワーケーションのための施設

チームや職場のみんなで日常の都会を離れて仕事を!それは合宿。そのために広いワークスペースやネットがつながる空間は必要である。日本では、ネットがつながらない場所が少なくなってきた。すると、逆にネットがありますは売り文句にはならなくなってきた。

今や、ワーケーションのための特別な施設というのは必要が無いのかもしれない。

地域にとってワーケーションは誘致が必要なのか?

企業の人が来てくれるのは、地元での消費が伸びるので地域にとっては望ましいことである。しかし、ワーケーションが目的に地域に来る人はいない。遊びに行く先にネットがつながっていればよい。遊びの場所として魅力的であることが第一だ。

DXによってテレワークが進み、どこにいても仕事ができる体制に企業は急速に舵を切り始めている。一過性ではなく、広い事務所を解約して、最低限の広さの事務所への引っ越しを進めている。オンライン会議の高度化を進めている。働き方に関する状況は大きく変化している。

団体で動くのでななく、個別で動き、仕事もできる環境のアピールに地域は切り替える必要がある。







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