啓蒙とは別の仕方で――今、市民として考えるために

知識人が表象するのは、静止した聖画のごときものではなく、言語のなかで、また社会のなかで確固たる意志をもった明確な声としてたちあらわれる個々人の使命であり、エネルギーであり、堅固な力である。

(Edward W. Said, 1994, Representations of the Intellectual〔=大橋洋一訳『知識人とは何か』平凡社〕, 邦訳116頁)

餃子(というハンドルネーム)によって提示されたマニフェスト(https://note.com/tphr98/n/n35573368ae33?sub_rt=share_h)を受けて、私(ビール:やはりこれもハンドルネーム)も応答すべきであるように思われた。アマチュアリズムを引き受けつつ、語ることを決してやめようとしないその姿勢に、私は共感するとともに、連帯の意を表したいと思う。(そうであるから、(旧)Twitterのアカウントを開設するに至ったのであるが。)そのためにまず、私が「誰」であるのかを示さなければならないと考えた。私が誰であるかを、誰が読むとも分からない虚空に向けてさらけ出す企てが、どこかで実を結ぶことを祈りながら――。



(ひとまず、)私が「何」であるか

 ハンナ・アーレントを引用するまでもなく言えることだが、私が「誰」(who)であるかを表象することは、不可能である。さしあたっては、私が「何」(what)であるかを述べておくことにしておこう。
 私は某大学院の博士課程(教育学部)に所属する、いわゆる院生である。専門は教育哲学で、とりわけ主体性概念への関心から、エマニュエル・レヴィナスという特異な哲学者のテクストとの対峙をとおして、研究している。幸いなことに、査読論文も3本ほど掲載していただいており、ひとまず文系の研究者生活としては”順調”といえるのかもしれない。(いわゆるトップジャーナルには、毎年きっちりはじかれている。)
 しかし、院生の生活は不安がつきものである。同世代の人々が就職、出世あるいは転職を経験しており、結婚をする者もいれば家や車を買う者もいる。私は幸い「実家が太い」(この世で一番嫌いなミームだが、自己紹介をすればほとんど確実にそう言われてしまうものであるから、いまやすっかりその罪意識を内面化するにいたっている)ため、食費を大幅に削ったり、生活が立ち行かなくなることはなかったものの、彼らとの距離は広がっていく一方である。加えて、果たして就職は可能なのか、博論は書き終わるのか、査読が通るのか、といったように、悩みは尽きない。

 そんな自分が、ともすれば研究という専門性とは離れた領域に身を置こうとしていることは、奇妙に思われるかもしれない。(きちんと専門領域でしかるべき人に信頼を与えるような成果を出し、研究者として身を立てるべきだ、というお叱りの声が聞こえてきそうである。)きっかけは、修論を書き終えたばかりの餃子くんの提案であった。お酒の席ではあったものの、私にとっては、その誘いは絶好の好機であるように思われ、ほとんどその場で(旧)Twitterのアカウントを開設する運びとなった。(これは完全に余談だが、TwitterをXと呼び、ツイートをポストと呼ぶことに素早く順応できた人は、本当にすごいと思う。私は未だに”アップデート”されていないし、するつもりもない。)

 とはいえ、非-専門的な内容については、やはり沈黙してしまうものである。それはとりわけ、専門なるものを少しでも掘り下げた者であれば誰もが感受してしまう「ためらい」ではないだろうか。およそ素人が口出しすべきでない、というように。そこで、このような場を設けて、一旦はスタンスを明示すべきだろう、と思った次第である。(といえば聞こえはいいが、実際のところは、餃子くんのノートによる触発に負うところがほとんどである。)

 したがって、私は教育哲学を専攻する博士課程の学生にして、専門外のことに口を出そうとしている者である。そうすべきである、と考えた理由は、以下に示すとおりである。先取りして端的に示すなら、「啓蒙」とは別の仕方で、といえるだろうか。

「知識人」と啓蒙

「知識人」の葛藤

 さて、博士課程に通う学生にしばしば向けられる問いとして、普段何をしているのか、というものがある。結論は簡単で、論文を書いている、という至極つまらないものになるのだが(アンケート調査やインタビューといった手法をとらない私には、基本的にテクストと対峙し、ひたすら「書く」ことしかできない)、その論文は何の役に立つのか、などと問われることもしばしばである。教育哲学の論文は、当然学校現場をはじめ、教育にかかわるすべての実践者にとって意味のあるものでなければならないと思う反面、教育哲学は哲学研究に対しても示唆をもたらすべきである、という発想も一方で根強いため、時として予備知識なしにはさっぱり理解できない論文も多く存在する。

 ここで、現場の教師に通じるものを書くべきか、研究共同体にもっぱら通用する内容を徹底すべきか、という難問が浮上する。言うまでもなく、学界で通用する内容を備えていなければ、論文としては意味を成さない。かといって、現場レベルの関心を無視して、知的好奇心だけを頼りに研究に邁進していればそれでいいのか、という疑問は解消しえない。ここにおいて、知識人の葛藤が見出されるように思われる。

 冒頭で引用したテクストを記したエドワード・サイードは、ポストコロニアリズムの代表的論客として知られる。サイードが示す知識人のあるべき姿は、単にエリートよろしく知識を無知な市民へと提供することではなく、様々な境遇を生きる市民の声を代表するようなものである。「専門性」は時としてこうした姿を妨げる要因になりうる、とサイードは喝破する。サイードが批判するところの「専門主義」(professionalism)は、「たとえば朝の九時から夕方の五時まで、時計を横目でにらみながら、生活のために仕事をこなす知識人の姿」(前掲117頁)とされる。決められた役職に閉じこもり、現実の社会状況に身を置くことのないその姿勢は、知識人としてあるまじき姿だとサイードは言う。そして、こうした問題は、専門分化の著しい今日の学術界隈においては、耳の痛い指摘なのではないだろうか。教育学のような実践と不可分とみなされる学問領域(pedagogy=教授学)は、とりわけ顕著であろう。

 博士課程での研究活動をとおして、私はこうした葛藤を抱えることとなった。専門領域に閉じれば閉じるほど、想定する読者も狭くなり、それによってますます閉じた議論が展開される。かくして、私の研究は、現場の教員が抱える困難や、教育哲学が抱える根本的な課題といった、広範な問題を扱うことなく、門外漢からすれば知的ゲームと映りかねないような議論として了解される。そして、こうした葛藤に対して無関心でいられないことが、一層の葛藤を生むこととなった。

啓蒙の未来

 また、こうした困難は、「啓蒙」(enlightenment; Lumières; Aufklärung)という、教育学の主たるテーマの運用にかかわってもくる。啓蒙とは、無知な者に対して知を授けること、蒙の状態にある者を光によって照らされた世界へと誘うことを意味する。その遠大な思想史をここで紐解くことは到底できない。こと教育学において、啓蒙はあるときは批判の的として、またある時は再評価の対象として両義的に論じられてきた。私がここで問題としたいのは、啓蒙という発想が抱える、「無知な者」と「知を有する者」の明確な――残酷なまでの――非対称性である。啓蒙を擁護するにしても非難するにしても、この非対称性は無視できないだろう。そして、研究者は半ば強制的に「知を有する者」として括られる。問題は、無数に存在する「無知な者」が誰であるか、である。

 先に述べたように、私の身の回りにいる”社会人”のなかには、トランスジェンダーへの差別的な言動を無自覚に行う者や、家父長制的な発想を内面化する者、新自由主義的な言説に踊らされて絶えず自己の”アップデート”に躍起になる者、教師の働きかけを最小限にする授業によって子どもの主体性が発揮できるなどと素朴に考える者など、様々な事情を抱えた者がいる。人文学を勉強してきた者にとっては、こうした人々に対して、差別的な言動を禁じることや、自己を過剰に追い詰めることに対するなんらかの緩和の可能性を示すことなど、できることは多々あるように思われる。

 しかし、私の葛藤はまさにその場面において顔をのぞかせる。すなわち、知識人として彼らを啓蒙することは、なぜ正当化されるのか、という疑問である。知識があるのだから啓蒙の担い手になるべきだ、というのは、近代(「人間」を素朴に肯定できた時代?)の発想であり、あるいはその前提が覆ってしまっている現代において教育の正当化の可能性を探ることが、近年の教育哲学の主たる課題とさえなっている。(これは少しばかり専門的な話になってしまっているが、さしあたり本筋には深くかかわらないので、ほどほどに述べておこう。)

 少なくとも、私には、啓蒙という発想をもって彼らに「指南する」ことが、どうしてもできそうにない。なぜできないのか。理由はいくらでも思い浮かぶ。飲み会の空気をぶち壊すかもしれない。言っても分かってもらえないかもしれない。そもそも社会人として働いてもいない自分が、新自由主義的な世界を生き延びようと自らのエンハンスメントに必死になる人を止める権利があるように思えない(自分はそうする必要がないのだから――とはいえ実際大学にポストを得ようと思えば、そうした発想とも無関係ではいられないのだが)。

 しかし、こうした理由を挙げたところで、おそらくこの葛藤は説明できない。そして、その説明可能性は、私の立場(ひるがえってそれは、対話の相手の立場を決定する要因でもある)に見出されるのではないかと思う。つまるところ私は、自らが啓蒙の担い手たる「知識人」としてみられること、あるいはそう自負することに対して、抵抗感があるのかもしれない。そう考えてしまう理由は単純で、私が知識人なら、彼/彼女らが「無知な者」となってしまうからだ。(ジャック・ランシエールが、「愚鈍化」と呼んだような事態を指すといってよい。)私が自らを知識人として了解することが困難であるのは、知識人としては知識があまりにも不足しているということ以上に、そう自称することによって、友人たちを「無知な者」として了解することへの、およそ倫理的というよりほかない抵抗感に端を発するように思われるのである。まっとうに「マジョリティ」として主体化した彼/彼女らを、マジョリティであるという理由によって責めることは、私にはどうしてもできない。

 しかし、ひとたびSNSなどをひらけば、そこには信じがたい差別的言説があふれている。しかも、そうした言説は、フォロワーのいない「捨てアカ」だけでなく、一丁前に知識人ぶる者や、影響力のある政治家にも広く見出される。こうした事態をまえに、やはり私は「啓蒙」の必要性を感じざるをえない。しかし、それはどのようにして可能なのか。また、そう感じるとき、私は友人を「啓蒙する」ことへの違和感を再び想起せずにはいられない。匿名の他者を「啓蒙すべき」であると宣うこともまた、いかに正当化しうる/しえないのか。「知識人」であることから距離を取りつつ、この「世界」――今日、それを信じることができるとするなら――に一石を投じるためには、どのようにあるべきか。

啓蒙とは別の仕方で

アマチュアリズムという突破口

 「啓蒙する者」と「啓蒙される者」という非対称性は、それ自体堅牢なものとはいえない、という反論(ないし慰め?)もあるだろう。例えば、私が「啓蒙できる」ことといえば、人文学で論じられている物事のほんの一部にすぎず、いわゆる理系の知識や、歴史学や経済学といった他領域の知見を、私は持ち合わせていない。そういった知識を得る場面に際して、私は途端に「啓蒙される者」の側に転じることになる。自分がつねに「啓蒙する側」であることなど、ありえない。言い換えるなら、人はみな何かしらの面において、「アマチュア」であらざるを得ない。それは、中学校を卒業すると同時に社会に出た者も、海外の大学で博士号を取得した者であろうと、変わらない事実である。

 こうした指摘は、「啓蒙」という枠組み自体が意味を成さない地点へと、我々を導くものといえるだろう。むしろ、皆がすべからくアマチュアであるという事実を引き受けることではじめて、「蒙が啓かれる」ことの必要性が改めて照らし返されるということもできよう。とはいえ、ここでは啓蒙の再評価の可能性を論じることはできない。(それについては、本業である研究の成果として、しかるべき場所で提出できればよいだろう。)今考えるべきは、非対称性に基づくところの啓蒙を脱して、敢えて言えば「正義」について考えるための方途を探ることではないか。

 さて、アマチュアという言葉は、餃子のノートから借用したものであると同時に、サイードが先の「専門主義」批判を展開した直後で論じているものでもある。

アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。

前掲120頁

 アマチュアであるからこそ、自由に観念や価値を追求できる。ここにおいて、誰が知識を有しており、誰がそうでないかといったことは、問題ではない。アマチュアとして「正義」を考えることは、特定の正義を他者に押し付けることではなく、「ともに知らないからこそともに知ろうとする」ことであるはずだ。ここに私は、アマチュアとして思考し議論することの可能性があると思う。(もちろん、アカデミアの端くれにいるものとしては、アマチュアリズムだけではまずい、という意識ももちろんある。そこについては依然として葛藤をつづけることになるだろう。)

遠隔の他者に応答するために

 とはいえ、サイード的なアマチュアリズムを素朴に引き受けることができるのか、と問うことはできる。というより、そう問わなければならないのが、今の世界ではないか。餃子くんのノートから引用しよう。

 その上で,この三年を振り返ってみよう。コロナが流行し,私達の移動は制限され,私達の健康はますます国家の管理の下に置かれた。アメリカでは,トランプ支持者が議会に乱入する事件が起き,民主主義そのものの存亡が足もとから揺らいだ。そしてそれに呼応するかのように世界情勢も不安定化し,ロシアのウクライナ侵攻が始まり,イスラエルはガザにおける大量虐殺を止める気配がない。日本では,安倍晋三の殺害によって統一教会問題が明るみになったし,最近では安倍派の裏金献金問題まで明るみになり,自民党政治の根本的な問題が明らかになりつつある。
 こんな大局的な「政治」のことばかりではなく,不登校児童・生徒数が年々過去最高を更新していたり,今年の年始に起きた能登地震の対応が遅々として進んでいなかったり,女性の自殺者が急増したり,外国人労働者の待遇が全く改善されなかったり,〈多様性社会〉を謳うわりに,あまりにもあぶれる者が多すぎる。

 たった三年の間だけでも、世界は著しい変化を潜り抜けつつある。こうした情勢において、「愛好精神と抑えがたい興味」を発揮することは、ためらわれるようにも思われる。パレスチナを出自とするサイードの言葉さえも「不謹慎」に響く今日の世界を、私たちは生きていくことを余儀なくされている。

 しかし、そうであるからこそ、私たちは――再び彼のノートを参照すれば――無数の「難民」と、あるいは拡大解釈された「市民」とともにあることを、改めて痛感せずにはいられない。そこには、無数の他者との連帯の可能性が眠っているはずである。あるいは、宛先も分からず、声が届くかもわからないような遠隔の他者に向けて言葉を紡ぐことによってはじめて、そこに「世界」なるものが立ち現れるのではないか。そうした異種混淆的な「世界」は、専門領域に閉じこもることによっては決して得られない、アマチュアリズムによってこそ可能なポリフォニーが奏でられる場となるだろう。

 他者へと知識を手渡す啓蒙としてではなく、この世界を知らないものとして、なおかつ知らなければならないものと認めて思考を止めないことが、私たちには求められているのではないだろうか。そして、その思考は、身近な友人とともになされるかもしれないし、世界のどこかで苦しむ遠隔の他者かも知れない。来たるべき”友人”と手を取り合うためには、遠隔の他者との関係を取り結ぶ回路を、たとえそれが現実化されなくとも、つねにつなぎ続けておく必要がある。

 そのために、アマチュアとしてであるからこそ語るという実践をはじめなければならない。そして、その実践は、すでに始まっているのだ――。

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