真価が問われるときに
2024.03.26
残したいので投稿します。
今日は大好きだった祖母の命日。思えばあの頃から春と桜が一層好きになったかもしれない。
近ごろ思うこと。逆境の時こそその人の真価が問われるのかもしれないということ。
苦しい時、誰かを攻撃したり腹いせするのは論外だけど、
知らず知らずのうちに他人のせいにしたり、恨んだり、否定したり、恐れたり、自分を疑ったり、そういう弱さが炙り出されるのは、人としてまだまだってことだと思う。
どんなに、いい時に格好つけてても。
でも、ただ耐えるのは辛い。苦しい。そんな時に踏ん張ることができるのは、信じるものがあるからしかないと思う。自分を信じる。世の中を信じる。神様を信じる。(宗教という意味ではなく)
自分や世の中を信じられない人は、そういう意味では大きなハンデになっていると思う。(わたしのこと)
信じる力は、傷ついてきた経験によって疑いに変わっていく。でも、信じることは確実に自分に強さをもたらす。
辛いことがありませんようにと祈るように暮らすのではなく、多少の辛いことに耐えて確実に乗り越える強さを身につけようと思う。
炙り出された弱さは、ここが弱ってますよって教えてくれている。足ツボみたいなものかな(笑)
誰もそれで否定したりはしないから(否定してきても本気じゃない、たいていただ言いたいだけだから気にしないこと)わたし自身が直視して、じゃあどうするかを考えていきたい。
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