三山 優
心に残る日の日記です。
仕事へ向かっていた 本をとじて ふと窓を見上げたら 列車は雲を走っていた 景色のない 白い綿のなかをひたすらに 因縁とは わたしの心が作り出したもの 彼彼女らを 心のなかで咎めることは きっと自分にかえってくる ほとけにあいにいく 三途の川がうっすらと見える そのきびしさとやさしさを 知ることは 己を手放すことなのだろう 全てをうしなえば 世界はやさしい 執着すれば 世界はきびしい あさのひかりをすかした 雲のなかを ひとすじにすすんでいく 2024.11.22
あなたの子どもに 生まれたのは はじめてかもしれない けれどわたしは あなたをえらんだ あなたの哀しみに 惹かれたような気がする あなたは泣き虫で やさしくて 辛抱づよくて 孤独だった 冬に生まれたあなたは いくども 冬をこえて いま 冬におびえている あなたの哀しみが いっせいに あなたの肩に ふりつもって 冷たいのだろう はじめてのわたしを 夏に産んだあなたは あなたが見たかった世界を わたしに見せた わたしはあなたの なんだったか 子どものようなあなたは いつも、泣いて
今日は4日ぶりの峙(sowa)の日。 曇り空にお山がずいぶんと紅く染まってきた。 お昼過ぎ、先日日記にも書いた大先輩のHさんがお嬢さんと一緒に峙へ来てくださった。 シュークリームにおせんべい、たくさんの柿を手土産に持ってきてくださり、すごく嬉しかった。 豆腐茶屋 林さんのお豆腐が美味しいですよとお薦めしたら、お嬢さんが「行ってくる」とさっそく買いに行かれた。少しお話しして、お二人は蔵王堂へ向かわれた。 紅く色づいたもみじの下の階段を上っていく父娘の後ろ姿を見送った。 四季には
15:00すぎ、昨日のお客さまが、本当に今日も来てくださった。ご予定もあるだろうし、昨日来てくださったので今日はいらっしゃらなくても仕方がないと思っていたので、嬉しかった。聞けば今日は奥千本の高城山に紅葉を見に行かれたという。たしかあそこは、吉野山で唯一東の空が拝める場所だ。朝に行けば美しい紅葉が見られるかもしれない。 そして今日も、峙(sowa)でゆったりと時間を過ごしてくださった。お気に入りの本が何冊か見つかったから、山を下りてから求められるとのこと。吉野へは毎年春と秋に
あしもとに ひかるもみじの星をふみ 霧のうえには あまのみ仏
今日は正午に峙(sowa)の前にある、金峯山寺の蔵王堂境内で大護摩が行われた。吉野山に沢山あるお寺のひとつ、東南院さんの大祭のためだ。 少し早めのお昼休憩が終わって峙で待っていたら、法螺貝の音が聞こえて、山伏さんたちの行列が、峙の前を通っていった。 行列が蔵王堂境内に着いたら、勤行や矢を射る儀式などが1時間くらいあるので、一旦峙に戻る。2時間もお店を空けていたらさすがによくないと思った。 そしてそろそろ護摩焚きが始まったと思うころに、お店に鍵をかけて見に行った。ちなみにお護
いそがしくて 会えないでいたら 連絡がとれなくなった しんゆう いそがしくても 会いたかったら時間をつくるもの 巷ではそんな言葉が言われている 本当のともだちなら 忙しくて会えなくても 友情はこわれない そんな言葉も言われている どっちがほんとうかなんて 人それぞれで ともだちが連絡を絶った理由も 本当のところはわからない ともだちは なにかが かなしかったのだろう わたしは それがかなしい わたしにできることは たぶんなかった 相手ののぞみを すべて叶えることなんて できな
今日、峙(sowa)の閉店時間である16:00が近くなって、帰る準備をしていたら、蔵王堂でアンケート収集のお仕事をされているKさんがやってきた。今日は17:00から、蔵王堂の夜間拝観のチケットの販売のお仕事があるらしい。それまで時間があるから、お茶でもしませんかとお誘いいただいた。 実はKさんとわたしは、偶然帰りが一緒だった時から仲良くなり、気づけば行きも帰りも同じ電車なので、一緒に山道を登り下りし、電車でもおしゃべりする中なのだ。 Kさんもわたしも、ずっと行きたかったカフェ
あなたはいつだってまっさらだ 関係をとざすのは いつだってわたしのこころで 関係がとざされるのは いつだってわたしのこころのなかだ まっさらなあなたは いつだってやさしい やさしいこと 思いやることが 新しいことなのだと知る わたしは 使い古した愛情を 古びた雑巾みたいに 使っている 汗と汚れ それがわたしの愛情だ それでも あなたに差し出すなら 丁寧に洗ってから 差し出したい 今からでも 遅くないだろうか 2024.11.09
今日は月に一度の京都での読書会。 その前に、仕事に少し余裕ができたので、 わたしにその読書会を紹介してくださったHさんと、京都の本屋さん巡りをした。 まずはスタバで腹ごしらえ。お貸しすると言っていた本「夏葉社日記」をお渡しする。 少しの時間を過ごすつもりが、スタバでゆっくりしてしまった。 慌てて一軒目の「誠光社」さんへ。 やっぱり、ここはすごい。本からみなぎってくる力を感じる。 マイナーすぎず、メジャーすぎず、絶妙なツボを押してくれる選書。わくわくする。 わたしは誠光社さんが
仕事のあいまの休息 ジャズをかけて 窓ぎわのベッドのすきまに 借りた写真詩集をひろげる 追憶の白いページに 光がひろがる 雲のすきま 急に 明るくなる 明るくなる 目がくらむような まっ白な光が 部屋一面にひろがる 視界が からだが あたたかい光につつまれて ここは天国 窓ぎわの 2024.10.30
昨日の吉野は霧雨だった。 今日は峙(sowa)はお休みだけれど、今朝も霧につつまれているのだろうか。 わたしの働く金峯山寺あたりはそんなに標高は高くないのだけれど、それでも雲が低い時は霧につつまれる。 すきっと晴れ渡った空を背景に堂々と立ち誇る蔵王堂も荘厳でかっこいいけれど、霧の中の南朝妙法殿(写真の建物。南朝の皇居跡。)も山深い聖地が感じられる風景だ。 花矢倉から吉野を一望したら、きっと霧の中の吉野の峰がそれは美しいだろう。 わたしはケーブルの始発でギリギリ峙(sowa)の
つらいときは たのしかったときのことを おもいだすといいよ あのおんがくを きくとおもいだすでしょう やさしいひとがいて そのほほえみに ひかりがうまれていた あなたが そのひかりだった あのころを うつくしかった このせかいを つらいときは よぞらのほしを みあげるといいよ ほしのよくみえるところへ いくとおもいだすでしょう いつかほしになるといった あのひとは ほんとうにほしになって あなたをみまもっている ほしがよくみえたなら あなたにもわかるでしょう あなたがいまつら
あなたにであえてよかった つたえたいこころを そっとひめるような そんなあいてが このてにあまるくらい それを それだけを しあわせと いうのかな ほかになにも のぞまないでよかった みかえりも いらなかった ただ あなたにであえてよかった それだけが こうふくのすべてだった 2024.10.26
むかし 世界はくらやみで 人は鬼だった それは 心が うつした世界で 怯えてばかりだったわたしは 地獄を知り そこで光をみた とざして見えなかった光は 鬼の中にあった わたしの中に鬼がいて 鬼の目で光を見たときから ひらいた扉 その先にやっと 人がいて 世界の輪郭が やわらかくかがやいた 遅い朝が まぶしくて 今もまだ 目を瞑りたくなる ねむれなかった 長い夜は それもまた あたたかい 悪夢 だった 2024.10.16
人の反応でわたしが決まるのではない わたしは人の鏡ではない わたしはわたしの鏡である 情けないとき それは誰かに乏しめられたからではなく わたしがわたしを乏しめた結果である 誇らしいとき それは誰かに称賛されたからではなく わたしがわたしを称賛した結果である わたしはわたしの鏡である 鏡に映った心が汚ければ わたしの心も疲れてゆくし 鏡に映った心が手入れされていれば わたしの心も美しくあろうとつとめる その心が人に映るのである 人を見て自分を決めるのではなく いつも自分の鏡を