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旅が終わったADHD

こんにちは。常に「ここではないどこかに行きたい」と思い続けてきた系のADHDです。

内なる欲望に素直に従い、ありとあらゆるところに出かけてきました。ここでは語りつくせませんが、本当にいろんなところに行きました。いろんな人にお世話になりました。


その経験を通して分かったことが一つあります。

私の「不満」は、どこかに行くことによって満たされることはないということです。


ここではないどこかにいきたい

昔から、「ここではないどこかにいきたい」と感じ続けていました。

全然知らないどこかにいる時だけが、生を実感できる唯一の瞬間でした。見たことない土地に行き、感じたことのない風を感じ、食べたことのない物を口にし、嗅いだことのない匂いを嗅ぎ、味わったことのない文化を味わい、人の素朴な優しさに触れる。その瞬間、世界は鮮やかになり、何とも言えない多幸感に覆われ、世界との繋がりを感じ、万物に感謝せざるを得なくなります。

これ以外のことからは、意義を感じることができません。普段の退屈な日々は、ただ漫然と時間が過ぎているのを感じているに過ぎません。同じ土地に縛り付けられることが苦痛で苦痛でたまらないのです。

ここではないどこかにいき続ければ、どこかしらのゴールにたどり着く人生はなんとでもなる。

そう錯覚していました。でも、どうやらそれは大きな思い違いだったようです。


日々が苦しい

ある日、「文章を書く」ことに目覚めました。自分の言語化能力がなぜか突然発現し、息を吐くように長い文章を書けるようになったのです。すると、途端にここではないどこかにいくことに対して興味が持てなくなってしまいました。

ここではないどこかにいくことで得られる興奮の絶対量が変わったわけではありません。文章を書くことで生み出されるインスタントかつ創造的な興奮が、どこかにいくことで生じる興奮を上回ってしまったのです。

私は1つの可能性に気付きました。

日々の生活に不満を抱えているのではないか。

新しいものについて考えることでしか興奮できない系のADHDなので、ここではないどこかにいくと、それだけで簡単に生の実感を得ることができます。

裏を返せば、日々の生活に対して満足していないということになります。日々が充実していれば、どこかに逃げたいという思いが増幅することはないはずです。

どこかにいくことは、日々の生活が苦しくて苦しくて仕方がないのを誤魔化しているだけだったのではないでしょうか。文章を書くことによって代替可能であったという事実は、この仮説を強く支持します。

どこかにいくことそれ自体が目的ではなかったのかもしれません。日々の苦しみから逃れる対処療法に過ぎなかったのです。

日々の不満を一つずつ解消する方が先決ではないか。そう感じました。


3つのしんどさ

というわけで、どこかにいくことを封印し、徹底的に自分を見つめなおすことにしました。一年ほどかかりましたが、とりあえずしんどいポイントを3点に絞ることができました。


ADHD由来のしんどさ

単純作業が大の苦手なADHDなので、日々の生活が単調で仕方がないのです。マルチタスクのような、苦手なことを日々無理やりやらされています。苦痛で仕方がありません。こんなことを続けていたら頭がおかしくなってしまいます。
そもそも私は「ひとつひとつやっていく」ことが壊滅的にできません。過集中で何かに没入して短期決戦で成果をもたらす方が性に合っています。
しかし、社会は私に地道な作業を求めます。これが本当に苦しくてしんどいのです。
すごく単純なことができないことがよくあって、その度に自分を責めるんだけども、それでもどうにもならなくて、すごく悲しい気持ちになったりもしました。
他にもいろいろありますが今日のところはこのくらいで。


フレームワークが違うこと由来のしんどさ

また、周りの人と微妙に話が合いません。考えるフレームワークのようなものが人と違うように感じます。端的に言うと、メタの視点を中心に物事を考えがちであるため、目の前のものをありのままに捉えることをあまりしてきませんでした。世間のみんなはもっと素直に捉えてるんだろうという感じがします。おそらく、他の人の考え方とは大きなズレがあるのでしょう。客観的に見ると、ひねくれているというか、うがった見方をしてるというか、性格が悪いというか。
ただ、ここで述べたフレームワークの差異は私に良いように作用する場合と悪いように作用する場合があります。したがって、善悪二元論的な視点で語るべきものではないように思います。


理解者が存在しないこと由来のしんどさ

さらに問題があります。それは、かくも変わった私を理解してくれる人がほとんどいないということです。成人してから自らの意志で受診した心療内科の先生が私を理解(了解?)してくれた初めての大人でした。それまでは全て自分でなんとかするしかありませんでした。過集中ブーストで全てをなぎ倒してきました。無理やりゴリ押してきた自覚があるので、自分や周りにダメージが蓄積してたと思います(´;ω;`)
そういうわけで、親を含めた周りの大人を信用することができませんでした。最近はようやく自分で自分のことを言葉で説明できるようになってきました。やる気と素養(免疫?)がある人間であれば、私のことを理解できると思います。それでも絶対数はかなり少ないように感じますが。

こう分析してみると、私は社会という聳え立ったTOWERを、変なフォームで無理やりよじ登ってきたんだなあというのをしみじみ感じます。そりゃしんどいですわ。


旅が終わって、パーティーを始める

というわけで、この先やるべき事が明確になりました。

”サポート”を受けてADHD由来の困りごとをなんとかしつつ、一般的な人々のフレームワークを了解しながら、良き理解者になってくれる人を地道に作っていく。

今すべきことはこれです。ここではないどこかにいってる場合ではありません。

楽観的ですが、これらが達成できれば、もうちょっと地に足の着いた日々を送れるんじゃないかなと思います。

その先、具体的にどうやって生きていくのかはよくわかりません。

ただ、自分が周りから認められて、自分がやりたいことややるべきだと思うことを社会実装できれば、それは凄く素敵なことだと思います。


現実

こんなことを書きましたが、あまり自分に期待はしていません。
今のところ無職引きこもりルートをずんどこ進んでいますが、状況が好転するといいな~と思います。ひとつひとつやっていくしかないっすね。ちょっとでもよくなるといいな~。切実に。苦しいよ~助けて~

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