ていねいな暮らしって・・・こだわって作られた素朴でとても美味しいチョコレートサンドクッキーのように、自分を愛でられたら

先日、スーパーに行く際、いつも通っているビルの前に小さな看板が出ていた。通り過ぎながら、看板にあった文字を頼りにネットで調べたら、不定期開催の作家さんたちによるアトリエだった。

心惹かれて、スーパーの帰り、立ち寄ってみることにした。

正直あまり綺麗ではない新しくもないビル。
なのに、扉を開けて入ったそこの空間は、とてもシンプルながら、こだわり抜かれた作家さんたちの作品(食器とか小物とかお洋服とか)が並んでいて、ドライフラワーがさりげなく飾られていて癒しの空間だった。

大量生産ではない分、そして作った方のこだわりが詰まった作品はどれも、それなりに値がはるもので、結局その日は焼き菓子を数点買って帰った

帰ってからおやつタイムに、家族と食べようと思い、パッケージを開けたのだけれど、そのパッケージから気に入った。
すごく素朴だからこその良い味が出ているテイストで、作った方の想いが込められているような感じを受けて、思わず、パッケージを開ける手つき、お皿に載せる手つき、食べるまでの気持ちに、ていねいさが滲み出た

そして、そのどれもが美味しいこと美味しいこと

原材料の表示を見ると、〇〇産の小麦粉、や聞いたことない何か健康に良さそうな意味のありそうなカカオ、白砂糖を使用していない、などなるほど、いいものが使われている

ていねいに知識を収集し、
それに基づいてていねいに選んだものたちを使い、
そしてていねいに作られたであろうその焼き菓子は
どれも、甘すぎず、素材の味が生きていて、雑味がなく、
市販品とは一味違って、とびきり美味しかった

よく、「ていねいな暮らし」なんて言葉が何年も前から聞かれるようになったけれど、「ていねいさ」ってふとしたところから宿るもので、そして一度少しでも宿ると、そこから広がり浸透してゆくものなんだと感じる。

「ていねいな暮らし」に私自身憧れていて、そういうことを実践している素敵な暮らしをする方の本も持っているけれど、
完璧なのは正直無理だなと感じる。

食べるものの材料を完璧に拘れなくたって、

外食だってしたって、

家の中の掃除や整頓を完璧にこなせなくたって、

できる限りなんでも手作りでっていう生活は到底無理だって、

ただ、ていねいに心を込められて作られたものを、
そのていねいさに感じながら生活の一部に少し取り入れること

これだけでも十分生活に「ていねいさ」を持ち込むことはできるのではないかと。

働いている塾で、一、二年ほど前に、自分が納得いく出来じゃなかったプリントをくしゃくしゃにしたり破いてしまう小学生の子がいた。気持ちはわかるけれど、やはりそれを目の当たりにして、よくないなと感じ、

「それは良くないと思うよ、物は大事にしたほうがいいよ

と伝えると、「なんで?なんで物を大事にしなくちゃいけないの?」と問われた。その時咄嗟に自分の口から出た言葉は、

ものを大切にできない人は、自分のことも大切にできないよ。

ものを大切にすると、他人のことも大切にできる。

他人のことを大切にできる人は自分のことも大切にできるんだよ」

だった。
彼は、幼いながら何かを感じたようで、うん、とだけ頷いて、
それからはくしゃくしゃにしたり破いたりはしなくなった。

今回のとてもていねいさが積み重ねられた焼き菓子との出会いで、感じたことは同じだった。
そのていねいさを感じて、
日常であるはずの小さなものをていねいに扱うと、
ていねいさが溢れ出して広がって
他のものも大切に扱いたい気持ちになるし、
家族への接し方や感謝の仕方も改めて見直そうと思えるし、
そしてひいては自らのこともていねいに大切に扱おうと思える気がする

 「ていねいな暮らし」とは、行動ではなくて、そうした心持ちの話なのではないかなと思った1日だった。

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