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ツイ廃の私にとってのnoteが続かない理由の分析と対策
noteやりたいなーと思いながら放置気味
noteを始めてみたものの、どんな使い方をしたいのかがいまいち自分の中で定まってなかったのだけど、先ほどつぶやいて「深い思考をしたい」と「書くスキルを身に着けたい」なんだなーとぼんやり把握した。
書かなくてもいいなら書かなきゃいいじゃんなんだけど、書くスキルは身につけたい。嫌いでもないし。
— ダムレイ (@dam_rey) June 19, 2020
Twitterは短文垂れ流しなので色んなことをバシバシとフラッシュしながら繋げてくのはすごいやりやすいけど、深い思考には向いてない気がすんだよねー
Twitterは毎日見てる。気楽で楽しいよね
私はTwitterが大好きで多分ツイ廃に近い使い方をしている。暇な時間があればTwitterを見てる。
2009年から育ててきた熟成11年物のタイムラインは、自分の好きな話題7割、全然知らなかった話題3割くらいが流れてきて大変刺激になる。
「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」 byトリビアの泉(もとはアイザック・アシモフらしい)
ブレインストーミングやアイデア会議では、関係なさそうな話題同氏を結び付けたり、発展させたりして新たなアイデアを生み出していくが、Twitterは短文の情報が嵐のように吹き荒れていて見ていて飽きない。(疲れるときはあるからそういう時は、ちょっと距離を置く)
それに、Twitterは発信側の心理的ハードルも低い。「つぶやき」だからね。「べ、別にあんたに言ってるわけじゃないから!」っていつでも言い訳できる。
だからあんまり推敲しないでポーンとツイートすることができる。ネタツイートが滑っても、まあ結構な速さで流れてくれる。ありがたい。
Twitterは毎日やってんのにnoteは何か月も放置しちゃう理由
Twitterは気軽にポンポンと投げられるのに、noteはあんまり書けないのはなぜか。それには3つの理由がある。
(この文章を書いているときには3つの理由は思いついていない。しかし、3つの理由があると書くとなんか出てくる気がする)
① 長文を書くというのはハードルが高い
noteは比較的長文を書くSNSだと思う。しかしながら、長文を書くというのはなかなかにハードルが高い。下書き一発目を書くのも結構大変だが、推敲がめんどくさい。
この文章はNo推敲で一気に書き上げているんだけど、140文字のテキストを推敲すればいい(何なら推敲すらしないで投げてもいい)Twitterと、何文字でもかけて、今この時点で1000文字くらい書いてるnoteでは、推敲難易度が全然違う。
文字数が増えれば増えるほど、前後の関係とか流れとかを考える必要が…ホントはないかもしれないけど、まあ考えちゃったりするので、乗算的に難易度が上がっていってしまう。
② 体裁整えるのがめんどくさい
今書きながらまさに思ってるんだけど、あとでここら辺に見出しいれるかーみたいに考えると「今書いている文章」と「見出しのタイトル」とかを考え出してマルチタスクになるので、シングルコア人間の私には大変荷が重い。
で、タイトル。タイトルをつけないといけない。
これを読んでる人がいるならあなたはタイトルを前付け派ですか?後付け派ですか?と聞きたい。私はもともと前付けからの書いた後に「やっぱ別のこと書いているから変えよう」って思って変える派だったんですが、多分これが自分にはあってない。
タイトル考えるだけで疲れちゃう。コピーライターじゃないけど、やっぱタイトルって顔だからさー「おっ」と思わせるようなシャレオツなこと書きたいじゃん?それで消耗してしまうので、タイトルは最後がいいな。うん。
あと画像。「読みやすくするために画像を貼りましょう!」
わかる。すごいわかるよ。俺も文章ばかりより画像があったほうがいいもんね。ラノベだって挿絵あるじゃん。いいよねあれ。
でも画像をね、貼ろうってとき皆様どうしてますか?
はい、画像貼ってみました。本文には全く関係ないです。
私はね、PCからやってるんですが、写真貼ろうと思うとエクスプローラーが立ち上がってPC上のどっかのフォルダに入ってる写真を探して貼り付けないといけないわけですよ。
で、今日び写真ってPCのローカルにある?スマホとGoogle Photoにしかないよ。だから、素敵な写真をさ、探すわけさ。その写真考えて探してしてる間に消耗する。無理。ハードル高い。
③ なんか「タメになること」「いいこと」書かないといけない感を感じる(意識高く???)
noteってさ、意識高く見えるわけ。で、実際私が読んでるnoteもすごいためになるし、意識高いし、「すげえなあ」って刺激になる。
でもさ、書く側になったらそれってすごいプレッシャーなわけですよ。
こう、社会的意義的な話とかさ、読んだ人の人生に少しでもプラスになればとか思うと途端にハードルが爆上がってしまう。
(ここでいったん下書き保存したら、「続きを楽しみにしています!」って出た。すごい。こういうとこ好き。100点)
確かに人の行動変容を促したいと思って書いた記事はある。最初に書いた十三機兵の話とかマジで売れて!って思ったから書いた。
でも、それはゲームの面白さが自分の期待値をはるかに超えてきたという感動のパワーがあったからであって、そう何度も何度もこの熱量で書けるかというと難しいわけですよ。
(よく考えたらこれも意識の高さ関係ないな。)
今思うと初っ端でパワーを出しすぎたせいで、書けなくなったのかなあ…
④ 何書けばいいのよ
マーケティングの第一人者コトラーは言いました。
「マーケできてりゃ、営業いらぬ。勝手に顧客が買っていく」(著者意訳)
何を書くか、それはとりもなおさず「どのユーザーに」「何を届け」「何を解決するのかor何の便益を与えるのか」ということになる。
つまり、顧客の分析から入らなければいけない。noteの利用層は?今フォローしている人たちはどんな属性?どんなペルソナを設定し、日ごろの生活、noteの利用方法を想定し仮説をたてカスタマージャーニーを…
とか本当にしゃらくさいんですよ。しゃらしゃらよ。しゃびしゃび。
※私が勝手にドツボにはまってるだけなんで、しゃらくさいのは私です。
こういうこと考えるのって書きたいこと書くというnote側の思想からちょっと多分大きく外れてて、すごい疲弊する。
書きたいことって何??ってなってしまう。
何せ思いついたことはTwitterで書いちゃってるもんで、そこでため込んでないんですよね。
結論:人の目が気になってる
①~④の共通点として、「人の目が気になってる」からかけないってのがある気がする。
「この文章読んだ人の心に刺さりたい!」という承認欲求、「こんなもんかよ、へっ!」みたいに思われたくないという自己防衛本能。
そこらへんが邪魔をしてnoteになかなか手が付けられないんですね。
そんな私でもnoteを書きたい!ので心がけること
そうはいっても冒頭書いたとおり「深い思考の機会」「文章を書くスキル」みたいなものの練習としてnoteは非常にいい場だと思っているので、障害になっていることをクリアできればもう少し書こうとするかもしれない。
「推敲しない」、「体裁気にしない」、「意識高く考えない」、「人のためじゃなくて自分のために書く」そんな感じでもっとライトに書いていくことでnoteもかけるようになるかもしれない。
ならないかもしれない。
未来は誰にもわからない。
何せかけない理由は3つあるって言ってるのに④まで書いてるんだから。
さて、タイトル何にしようかな。
了
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