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【今更】だめライフ愛好会とは?

 だめライフ愛好会を発足させて既に半年が経っており、note記事も2つ投稿しているにもかかわらず、今になって「そういえばこのサークルの設立経緯とか全然話してなかった」と、ふと思い早朝に筆を取りはじめた。この記事ではだめライフ愛好会をおいどん*1が何故作ったのか、今更ながらそのわけを話していきたいと思う。

そもそもだめライフ愛好会ってなに?

 最近、学生運動界隈の交流会等に色々顔を出しており、このサークルの名前を出すたびに「なにをやってるサークルなの?」と訊かれるので、名刺代わりにここで説明をしておきたい。

 だめライフ愛好会(以下、だめライフ)は「だめがだめでいられる場所」をコンセプトに、2022年11月から活動しているサークルである。ただ、サークルといってもメンバーはおいどんだけだ。主宰者のおいどん自身が社会性・協調性に欠けている自覚があり、組織というものが苦手なため、サークルでありながらメンバーは一人である。他人に指図されずに自分のやりたいようにやりたい性分なのだ。したがって、だめライフは個人が運営しているイベントサークルというのが説明としては分かりやすいだろう。

 これまでに開催してきたイベントは「自販機小銭拾い」「葉桜を見る会(毎月開催)」「90年代の朝まで生テレビ鑑賞会」だ。ちなみに、今後開催予定のイベントとしては「就職(マジでしたくないからどうすれば就職せずに生きていくかを考える)座談会」である。これまで開催した3つのイベントがどのようなものだったのか、概要を紹介する。

自販機小銭拾い

 「自販機小銭拾い」は、2022年12月に開催した、中央大学多摩キャンパス内のありとあらゆる自販機の下を覗き、落ちている小銭を拾いまくるというイベントである。さすがに日中は恥ずかしいので夜になって実施した。協力者1人と共に埃まみれになりながら腕を伸ばし、定規やそのへんの棒切れを駆使し小銭を漁り回った結果、なんと2時間やって合計2000円も入手した。時給にすれば1000円なので、意外と割のいい小遣い稼ぎになった。前回開催してから半年経つ。そろそろ収穫時期だ。これはもう、立派な第一次産業である。

大学中の自販機の下を漁りまくって手に入れた1989円

葉桜を見る会(毎月開催)

 「葉桜を見る会」は、2023年4月12日に多摩キャンパスの中庭にて行ったイベントである。中大生のみならず他大生、一般市民、それどころかイヌネコオケラミミズアメンボ等々人間ですらない者の参加も歓迎の世界一懐の深い花見を標榜した。

 昼過ぎから夕方まで計8人ほどの参加があり、全員中大生ではあったが、おいどんの知人のみならずTwitterを見て来たという初対面の人やその友人の参加もあった。花見の中でとくに嬉しかったのは、話の流れでおいどんがギターをやってみたいということを話したら音楽サークルに誘ってもらえたことだ。大いに盛り上がり、大変充実した花見だった。ちなみにのちに知ったことだが、シートを引いていた場所の周辺には桜の木は生えていなかった。毎月開催しているだめライフのメインイベントだ。

第1回葉桜を見る会の様子

90年代の朝まで生テレビ鑑賞会

 「90年代の朝まで生テレビ鑑賞会」は、2023年4月29日に多摩キャンパスにて行った、テレビ朝日の長寿討論番組「朝まで生テレビ!」の過去回の鑑賞イベントである。朝生鑑賞会については、中大生はおいどん以外一人もおらず、参加者は他大生と社会人だった。観たのは1995年放映の「現代ニッポンと天皇制とオウム」という回だった。宮台真司、西部邁、小林よしのり、猪瀬直樹、舛添要一など、豪華メンバーを揃えた6時間にも及ぶ大討論だ。

 大雑把にいえば日本社会論、日本人論といった内容で、日本社会の無責任体制といった問題が議論された。鑑賞会の形式としては、CMごとに区切りをつけて、それまで論じられていたことについて参加者内でディスカッションするというものだった。それなりに議論は盛り上がったが、なにせ6時間にも及ぶ長丁場だ、5時間くらい観ておいどん含む参加者はすっかり疲れてしまい、途中から単なる雑談会になった。それはそれで面白かったので良かったが。

だめライフ愛好会の設立経緯

 さて、ここまでだめライフの活動について軽く見てきた。どのようなことをやっているサークルであるか大体分かったと思う。次に、だめライフ愛好会が何故作られたのか? その経緯について話していきたい。半分くらい自分語りになるので恐縮だが、将来的にこのサークルが有名になりWikipediaが作られた際、執筆者の手間を省けるように設立経緯を書き残しておく必要があるため、面倒だが書くことにする。

総遅刻数300回だった高校時代

 昔話をしていたら長くなるので手短に済まそう。小学校から中学校にかけては、信じられないかも知れないが、9年間ほぼ皆勤だった。勉強はできなかったし宿題は踏み倒すし悪事も散々働いたが、学校だけは真面目に通っていたのである。たぶん、「学校に休まず通う」ことくらいしかおいどんには取柄がないと当時は思っていたのだろう。学校なんて行ったってむしろ馬鹿になると今にしては思うが、当時は劣等生なりに学校にしがみついていたのだ。

 そんな真面目(?)な小中学校時代までとは裏腹に、高校では不真面目を極めた。唯一の取柄だった「学校に休まず通う」ことすらも放棄しだしたのである。詳細は省くが、高校が不本意入学であり、学校が大嫌いだったから一秒でも長く学校にいる時間を減らしたかったのだ。落第にならないギリギリのラインを計算しサボりまくった。たぶん、3年間の総遅刻回数は300回はいっている。意図的にサボっていたのもあるが、高校で自分用のパソコンを入手し、夜遅くまでインターネットに明け暮れていたため、単に朝起きられなくなったという事情もある。この頃、学校に行きたくなさ過ぎてストレス性の腹痛を発症したこともひとつだ。中学校までは「学校には休まず通う」という、勤め出してからも必須な社会性が、高校入学以後、ものの見事に砕け散ったのである。こうして、現在の「どーしようもなくだめな」おいどんが出来上がった。

マスク・トータリズム(全体主義)との戦い

 2023年3月13日のマスク自由化から元に戻りつつはあるが、2022年まではご承知のように世間のマスク圧は尋常ではなかった。おいどんは訳あって反マスク活動家としての活動もしていたので、マスクを求められる場所でもひとりノーマスクを貫いていた。
 駅の待合室では60代くらいのサラリーマンに「マスクしろよ」と舌打ちされた。スーパーでは老夫婦に煙を散らすように手で扇がれた。銭湯では「マスクはお持ちでしょうか」とうんざりするほどいつも訊かれた。カラオケでは高圧的にマスク着用を求められた。大学でも職員に「なんでしてないんですか?」と詰問された。電車では目の前で車掌にマスクアナウンスをされた。……振り返れば枚挙に暇がない。コロナ以降のマスク・トータリズム(全体主義)ともいえる民衆からの異常までの攻撃に、元来メンタルの強くないおいどんは非常にストレスが溜まっていた。
 このような反マスク闘争のなかで、おいどんは個人の自由について深く考えるようになった。なぜ、健康な人間までマスクをしなければならないのか? 公衆衛生の名の下に個人の自由を抑圧し、差別してもいいのか? そもそも、風邪を引くことがいけないことなのか?……要するに「好きに生きさせろ!」と思ったのである。これもだめライフの設立に大きな影響を与えた。

ゼミ糾弾事件

 2022年、おいどんの所属しているゼミで、おいどんのだらしのなさについてゼミメンバーから糾弾がなされた。きわめて学校的で管理的な鬱陶しいものだった。この一件から、逆張り的捻くれ者であるおいどんは堕落主義を急速に尖鋭化させていき、「だめで何が悪い!」と開き直った。だめライフ設立を直接的に動機づけた事件である。

清潔さで汚されたキャンパス

ビラもねぇ!タテカンもねぇ!自由に遊べる時間(猶予)もそれほど残ってねぇ!
                         

OK,LET'S,GO
「おら大学さ行ぐだ」より
だめライフのビラ(上)を貼ったらビラどころか掲示板ごと外された中央大学多摩キャンパス そもそも平時はビラが貼られていないことが異常事態である

 昨今の大学のキャンパスの荒れ具合ときたら、けしからんものがある。清潔さで汚されまくっているではないか!……こんな問題意識がずいぶん前からあった気がする。

 ビラも自由に貼れない、もちろんタテカンも立てられない、アジっているやつもいない、喫煙所は減らされる(ちなみにおいどんは非喫煙者である)、授業出席は厳格化される、ボランティアやら就活の勉強会みたいな無味乾燥なサークルが乱立する、就職活動の早期化で3年生からインターンで気の早いやつは2年生くらいから就活の準備と、「人生の夏休み」と言われる大学時代において自由にのびのびできる猶予(モラトリアム)はそれほどない現実……。おいどんは清潔さで汚されたキャンパスに居心地の悪さを覚えていた。そして、これはなにも大学という箱庭だけの問題ではない。この社会全体に起こっている問題なのである。

 昔はもっと狂った人間が街を歩いていたし、ホームレスも沢山いた。タバコも色々なところで吸えた。汚らしい猥雑な街並みも残っていた。それがどうしたことだろう。漂白剤を空からばら撒いたかのように、人も、街も、ピカピカに磨かれてしまっている。おいどんのようなダメで汚い人間の居場所が、この社会からどんどん失われていってしまっている。おいどんは、そんな大学の、社会の状況を変えたい。汚さのなかでしか生きられない人々の生きる権利を守りたい。綺麗な奴もいれば汚い奴もいる、それこそが、みんな大好き「多様性」ではないのか?

「だめ連」「法政の貧乏くささを守る会」そして「だめライフ」

 以上のような、おいどんの個人的な経験からくる問題意識によりだめライフは立ち上げられた。一方で、だめライフ愛好会として活動していくうえでモデルとなった運動がある。「だめ連」と「法政の貧乏くささを守る会」である。だめライフはこれら二つの運動を参考にして作られたサークルといえる。だめ連とは、1992年に早稲田大学の同窓生だった神長恒一とペペ長谷川が始めた運動である。そのポリシーとは、既存の性、労働、消費の在り方を相対化し、そこから外れた生き方を、交流を通じて模索し肯定することである。

 「法政の貧乏くささを守る会」もだめライフが影響を受けた運動の一つである。法政の貧乏くささを守る会は1996年に法政大学学生の松本哉により始められた運動である。授業に出席しない学生の居場所の保全、学生生活の改善、学費値上げ反対、校舎改築反対などを訴え、大学内にこたつと鍋を持ち込み、鍋をつつく鍋闘争などのユーモラスな活動を展開した。だめ連も法政の貧乏くささを守る会もだめライフより四半世紀以上前の運動であり、いわば大先輩である。どちらも交流を基礎に置いた運動であり、活動家・外山恒一の言葉を借りれば「面白主義」の運動である。これら先人たちの運動に比べるとだめライフは比較にならないくらいレベルの低いことは疑いようがないわけだが、おいどんとしても真面目に学生運動をやることに対するある種の気恥ずかしさのようなものがあり、茶化した運動のほうが性に合っていると思ったので、面白主義(本当に面白いかはさておき)の系譜を継いだつもりである。

 だめ連は90年代前半、法政の貧乏くささを守る会は90年代後半の運動だった。社会史的な解釈をおいどんなりにすれば、だめ連は豊かさを享受できた90年代前半の日本社会のなかで、敢えて既存のレールから外れた生き方(社会学者・宮台真司の言葉を借りれば「まったり」)を実践した運動だった。また、法政の貧乏くささを守る会は管理化され、漂白化される大学キャンパスへの抵抗としての運動だったといえる。

 では、だめライフは社会史的にどのように位置づけられるだろうか? 人々の行動というのは、その人の生きる社会の在り様に反発して起こる。そのように考えるならば、だめライフのような運動は「失われた30年」と言われ、少子高齢化が加速度的に進行する希望のないこの日本社会への「諦め」が根源にある。豊かな暮らしもいらない(できない)、家族もいらない(できない)、せめて今この瞬間を楽しくのんびり生きていきたい。そんな内に秘めた思いがだめライフを生んだのである。

おわりに

 以上のような経緯でだめライフ愛好会は設立されたのである。現状、若者によるライフスタイルに関する目立った運動はだめライフの他に見かけない。奇しくも中国では「寝そべり族」という、類似の問題意識から発生したムーブメントが流行中のようだが、これは30年前にだめ連が登場した経緯と近いものを感じている。つまり、30年前の日本の状況を追う形で起こった運動だといえる。かつての日本がそうだったように、中国社会が資本主義の在り方を相対化するフェイズに入っているということだろう。法政の貧乏くささを守る会はもとより、だめ連も今やほぼ活動はなくなってしまっている。日本における、若者によるライフスタイルの相対化に関する運動の最先端を担うという重責がだめライフには課せられているのかもしれない。

 今、おいどんが関心のあるテーマは「就職(否定)」「管理社会」「社交文化の創生」「モラトリアム」「アナキズム」である。これらのテーマに関心のある人は、葉桜を見る会をはじめとする交流会に是非来てほしい。レッツ、交流!

*1 小学校の頃、図書室で読んでいた日本史の漫画のなかで西郷隆盛が「おいどん」と言っていたのが妙に刺さり、それ以来なにかと自分のことを「おいどん」と言うようになった。ネットでは基本的に一人称おいどんなのでご理解いただきたい。


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