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自作自演メタ映画。それって庵野だろ?!という異色の面白さ『病院坂の首縊りの家』

メタ視点とか高次元の視点(俯瞰視点)って、パロディとか二次創作によくあるけど、自分の作風を自分でメタに作る人がいるとは!!

最近、70年代の「金田一」シリーズを観てる。
(↓過去作についてはこちら)

ようやく最終作『病院坂の首縊りの家』を観たのだが、好きだ。
一番好きかも。何度も変な笑いが出た。
いい意味で予想してなかった変な映画だった。

この作品で「横溝正史×市川崑×石坂浩二」の70年代「金田一シリーズ」は終結する。
さすがに作る方もマンネリに感じていたのだろうし、この前作(『女王蜂』)がシリーズのラストと聞いていた市川監督は「歴代女優が集結する」という大ネタを前作でやってしまっていたから、新たにもう一本と言われてもなぁって感じで「もう遊んじゃおう!」となった・・・かどうかは知らないが、たぶん、そういう「思考の無法地帯」が生まれれたのではと想像してしまう。
それほど『病院坂の首縊りの家』は作る方が遊んでいる。

簡単いうと、二次創作的、パロディ的な発想が随所にある。
金田一あるあるに言及してる箇所とか。
つまり「メタ金田一映画」「二次創作金田一映画」なのだ。

例えば・・・

草刈正雄扮する黙太郎が金田一に被害者の複雑な家系図を長々と説明する場面。緊迫した不穏な音楽の中、長い説明を終えた黙太郎が「わかりますか?」と金田一に尋ねる。すかさず金田一が一言、「よくわかりません」。
金田一シリーズお馴染みの、「あの人はだれそれの隠し子だった!」みたいな血のつながりのややこしさ。いつもは金田一が長々と説明するわけだが、逆の立場になると「そんなに一気に言われても・・・」となるギャグ。可笑しい。

金田一が興奮した時に出るフケと、等々力警部が驚いた時に噴く粉薬。これは毎回でてくるお馴染みのコミカルシーンだけど、本作は二つを同時にやるのでただのカオスとなる。変なファンサービス。

等々力警部の部下に阪東刑事(岡本信人)という朴訥な男がレギュラーでいるのだが、今作では朴訥どころかまるで機械のように抑揚のないセリフを言わされている。あまりの抑揚の無さに黙太郎(草刈)に頬をつねられる。阪東は怒らず、抑揚のない口調で「イタイデスネ」という。シュールな空気すぎる。

毎回いろんな役で登場する準レギュラーの俳優たちがいるのだが、今作はみんなやりすぎてる。大滝秀治の顔芸にも笑ったが、
白石加代子のやりすぎっぷりはピカイチで震えた。
これ、撮影現場では笑いこらえてたんじゃないか?
妙に時間が長いのも監督もお気に入りなのかなと感じてしまう。

過去一番に「死に方が雑」。今回、最初の首だけ死体以外、残りは死に方が雑。え?それで死んだの?っていう。特にピーターの死に方は笑った。

でもそれだと「死体の派手な見せ物」を楽しみにしてる金田一ファンががっかりするんじゃないかって?大丈夫。↓

死体を見た人々がどれも派手に驚いてくれるから。やりすぎな顔芸!


作者の横溝先生が冒頭と終わりに出てきて、金田一や黙太郎と会話するあたり、あきらかに「メタ的な楽しみ方」を観客に望んでいると思う。もちろん、すべての観客がそこまでわかってくれないとしても、人気シリーズをここまで観てきてくれたファンへのオシャレでセンスの良い目配せだと、感心した。ふざけ過ぎないのも好感が持てた。わかる人にだけわかる目配せって感じで。(パロディ映画は別で大林監督がやっている)

そして作品としても、若い二人、草刈正雄と桜田淳子という個性の素晴らしさで、他のシリーズ作品の中でも新しい風が吹いている。

過剰なドタバタコメディの演技をするイケメン草刈正雄はずっと見てられる。金田一映画にスラプスティック要素はいらないと思うが、草刈正雄はこれでもかと派手にこけたりする。だがそれが良い。長い手足が活かされている。

そして『病院坂の首縊りの家』の桜田淳子の魅力はあちこちで散々語られてると思うので、「めちゃくちゃかわいいから見て!」とだけ言っておく。

もちろんカメラもパキパキに構図がカッコいいので必見。

メタ的、自分の二次創作的。
キレキレの構図。
手足の長いドタバタ(エヴァ?)
美少女。

あ、これ、庵野じゃん。と思った。そりゃ庵野、市川崑が好きだわ。

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