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私が私のために書いた文章が、誰かの役に立てるのだとしたら

こんにちは、オンラインで事務代行を請け負っているだまと申します。

私はなぜか最近、「書く」ことについてやたらと気になっています。
別に作文が得意だったわけでもない私が、大人になっても「書く」ことを続けているのはなぜだろう。

「書く」ことについて、過去にさかのぼりながら向き合ってみました。

小学生|交換日記と手紙交換

振り返ると、「書く」ことで初めに記憶に浮かぶのは小学生の頃だと思います。

小学校3年生のときの担任の先生が、毎日日記を書くことを私たちに課しました。と言っても宿題という立ち位置ではなく、自主学習の一環として、書ける人は書いてみようという感じだったと思います。

私は素直に真面目に(笑)毎日日記を書き続けました。当時何がモチベーションになっていたかというと、日記を提出すると担任の先生が必ずコメントを返してくれたことです。

私が書く日記の長さは、日によって数行だったり1ページだったりでしたが、先生は毎日マメに数行に渡るコメントを朱で入れてくれていました。

それはもはや、先生との交換日記のようなもの。
その日々のやり取りが楽しくて、毎日日記を書き続けました。

風邪で学校を休んだ日には「休みました」とだけ書いて提出したし、バレンタインデーには好きな男の子にチョコレートを渡したことも赤裸々に書いて提出していました。
今思えば恥ずかしくはなかったのかと疑問ですが、逆に文字だったからこそ、素直な気持ちが書けたのかもしれません。

学年が上がって担任の先生は変わりましたが、毎日日記を書く習慣はそのまま私の中に残り、新たな先生に毎日日記を提出し続けました。
結局、小学校を卒業するまで、4年間日記を書き続けました(実家には、10冊を超える全日記帳が保管してあります)。

ちなみに、先生とだけではなく、仲の良い友達とももちろん交換日記をやっていました。二人きりのものもあれば、4人グループでのものもあったな。
交換日記のみならず、手紙交換も大好きでした。「手紙ごっこ」と題し、友達と向かい合ってひたすら手紙を書き合うという、一見不思議な遊びもよくしていました(笑)


高校生|ブログでの発信を始める

中学生は多分何もなかったので割愛←

高校生のとき、初めて自分のブログというものを持ちました。

私は高校時代に1年間休学して、家族で海外に住んでいました。
高校1年生という思春期ど真ん中のタイミング。気持ちの整理がつかないまま、初めての海外生活がスタート。

現地では、日本のようなバリバリの部活動もなく時間を持て余していたこともあって、ブログをはじめました。たしか、楽天ブログだったかな。
海外での日々の暮らしや、自分の気持ちを書いていました。

はじめは自己満足で書いていた日記に、ある日どこの誰だか知らない読者からのコメントがつくようになります。そしてそのお相手にブログ上でお返事を書く。
ブログという自分のメディアを持てたことも嬉しかったし、自分の発信に対して誰かが読んでくれて、反応してくれることはもっと嬉しかったです。

日本に帰国してからは、また忙しい日常が戻り、残念ながらブログの更新も途絶えてしまいましたが…(当時のブログはどうなったんだろう、残っていたら逆に怖いけど)。


大学生|mixiを筆頭にSNS全盛期へ

大学生になって爆発的に流行ったのがmixiでした。
私はこれまでの延長的な感覚で、日々の出来事や思いを綴り、アルバムも頻繁に更新していました。

「書く」こと自体も楽しかったんだと思いますが、友人たちに記事を読んでもらえて、反応がもらえることがやっぱり楽しかったんだと思います。今思えば「読んでもらう」ことを前提に投稿していた気がするな…。
あとは、自分が生み出したコンテンツ(今となっては黒歴史な記事も多い←)がストックされていく感覚も好きだったように思います。

その後はFacebook、Instagramと新たなプラットフォームが海外から次々に流入し、SNS全盛期へと突入…。


社会人|仕事と「書く」こと

人並みに就職活動をして、大学卒業後は運良くメーカーに入社しました。

仕事では、「書く」というエピソードが正直思い浮かばない…。
と思っていましたが、考えてみると毎日メールを書いていました

わかりやすく簡潔な文章か、誤解を生まない文章か、失礼のない文章か…。メールを書く際には考えることが多くて、正直かなり時間がかかってしまうこともありました。送信する前にも何度も読み返したりして。
でも、ごちゃごちゃした情報を整理して、わかりやすく文字にまとめる作業は嫌いじゃなかったように思います。

また転職先で、お客様からの問い合わせメールに対して返信を書いたとき、なぜかすごく褒めてもらえたのを覚えています。またFacebookの投稿文や、メルマガの文章のラフを提出すると、ほぼ修正なく採用してもらえました。
当時は「これくらい普通だよね…」と思っていましたが、今思えばそれは「自分にとっての得意」の片鱗だったのかも…?(急にポジティブ)


私が「書く」理由

こうやって書いてみると、私にとって「書く」ことは昔からなにかしら繋がっていたことに気がつきました。

そして多分、今も書いているということは、「書く」ことは嫌いじゃない、いやむしろ好きなんだと。

大人になって再度ブログに挑戦したこともあったのですが、「書かなければ」という義務感が辛くなって一時休戦。
そして「もっと自由に、自分のために文章を書きたい」という思いから、noteを始めました。

私が「書く」理由はなぜだろう。
noteを書き始めてから、感じている理由が3つあります。

・思考を整理するため
・備忘録として記録するため
・人の役に立ちたいから

思考を整理するため

モヤモヤと考えていることを言語化して表現すると、思考が文字というかたちで見えるようになります。それによって「自分はこんなこと考えていたんだ」と気づきが得られたり、より思考が深まったりします。
そのプロセスが心地良いし、私にとって大切だなと感じています。

私はストレングスファインダーで「内省」という資質を4位に持っているため、その傾向が強いのかもしれません。

備忘録として記録するため

この先忘れたくないな、どこかに記録しておきたいな、と思うものは文字にして残すようにしています。
私のnoteで言えば、社労士試験や簿記3級の勉強方法など。

mixiの話でも出た、自分が生み出したコンテンツがストックされていく感覚が好きなのも関係しているかもしれません。自分のメディアを育てていく感覚

人の役に立ちたい

でも思考整理、備忘録のためだけなら、それこそ日記帳に書いておけば良いのかもしれない。

書いて、発信する理由はなにか?
それはきっと、人の役に立ちたいから。
私が考えたことや、経験したことが、もし誰かの役にたてるのならばすっごく嬉しいと思っています。

これって結局、感謝されたときにやりがいを感じるという話に通じるのかも、と。


おわりに

「書く」ことに関して、とっても嬉しかったことがありました。

多分、私のSNSをずっと見てくれていたのでしょう。「だまちゃんの書く文章が好き」と言っていただいたことがあります…!

人間が書く文章には、少なからず書き手の人となりやその人らしさが滲み出る気がしていて。
私の文章を好きと言ってもらえたことで、自分をちょっぴり肯定してもらえた、そんな気分にさせてもらえました。

#なぜ私は書くのか

読んでくださりありがとうございます。

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