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燕子花図屏風の魅力は、見た目だけではない!?

 4月中旬、多くの美術館で、新たな展示が始まりますね。どれも楽しみな物ばかりで皆さん、時間と体が足りないのではないでしょうか。さて、この時期に毎年行われる展示で僕が最も好きなのが、根津美術館で行われる『燕子花屏風展』です。これは尾形光琳『燕子花屏風』を見る事ができ、大変人気の展示です。本作の魅力を根津美術館公式サイトから引用致します。

総金地の六曲一双屏風に、濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花の群生。その背後には『伊勢物語』第9段の東下り、燕子花の名所・八つ橋で詠じられた和歌がある。左右隻の対照も計算しつつ、リズミカルに配置された燕子花は、一部に型紙が反復して利用されるなど、一見、意匠性が際立つが、顔料の特性をいかした花弁のふっくらとした表現もみごとである。

 5千円札に印字されている美しき作品の魅力は、見た目だけでなく、知的な和歌の世界を堪能出来る点もあります。今回は、『伊勢物語』で詠まれた和歌を解説し、『燕子花図屏風』の面白さをお伝えします。

【和歌を題材にした絵画:燕子花図屏風】

 本作の絵画的な魅力も去ることながら、題材にしている和歌が大変興味深いのです。『伊勢物語』の登場人物、在原業平が京の都から関東へ向かう“東下り”の道中、愛知の八橋に立ち寄った場面を歌っております。この土地は燕子花の名所で、その景色があまりにも美しかったので、在原業平の同行者が彼に対し”燕子花“を題材に一句詠んでほしいと持ちかけました。そして下記の句を詠みます。

「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」

読み:「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ 」

現代語訳:(何度も着て身になじんだ)唐衣のように、(長年なれ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思う。 

 五七五七七の頭が”かきつばた”になっている事にお気づきでしょうか。とても知的な句であり、在原業平の歌人としての天才ぶりが伺えますね。加えて、この句には多様な掛詞が用いられている点もその魅力です。掛詞とは、1つの言葉に対して、2つの意味を含ませる和歌における手法です。実際に、この歌を例に見ていきましょう。

【天才歌人の掛詞:4つの言葉と8つの意味】

 在原業平が詠んだこちらの句には4つの掛詞が使われております。そしてそれぞれが”着物”と”人物”2つの意味を含み、和歌に深みを与えているのです。では、どのような意味が掛けられているのでしょうか。1つずつ見ていきましょう。

 まずは、”なれる”です。”萎れる”という言葉は、現在”しおれる”と読みますが、当時は”なれる”と読んだそうです。着物が馴染んでいる様子を表しているのですね。人物の意味は、慣れ親しんでいる状態の”慣れる”が掛けられております。

 ”つま”は、着物でいうと袖を表す”褄”が充てられております。そして、人物では”妻”を意味し、在原業平の奥さんを指しています。

 ”はるばる”は着物がぴんと張った状態を言います。句の冒頭に出てくる唐衣は、着てすぐはとてもゴワゴワしていたようです。人物の方は、詠んだイメージの通りで”遥々”を意味します。

 最後の”きぬる”は着物を”着る”。人物が”来た”状態を表し、掛けています。

 いかがでしたでしょうか。僕は『燕子花屏風』を通してこの和歌を知りました。美しい音の並びと掛詞の妙、そして東下りをしている在原業平の心境を上手く掛け合わされた名句だと感じました。そんな素晴らしい和歌を題材にし、人物を配さずに花だけで魅せた尾形光琳もまた粋な作家だなと思います。

【もう一つの粋:根津美術館の庭園】

 在原業平と尾形光琳の粋に加えて、もう1つの粋が根津美術館での展示方法です。なぜ4〜5月に『燕子花図屏風』を展示するかというと、自然に咲く燕子花の開花時期だからです。
 根津美術館には、日本庭園が併設されており、その水辺にはこの時期、燕子花が咲き誇ります。館内と館外で絵画と自然の燕子花を鑑賞できる体験型鑑賞と言えるでしょう。作品の世界に入り込むインスタレーションは世の中にたくさんありますが、根津美術館のような自然んと共に魅せる展示も素敵ではありませんか。


 本企画は毎年開催されておりますが、去年はコロナの影響で実施されませんでした。2年ぶりの本展、ぜひ足を運んで見てください。
 根津美術館の庭園に咲く燕子花の魅力は下記のリンクからご覧ください。


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