女性のいるメリットを強調することによって女性の社会進出や組織内におけるエンパワーメントを擁護することに感じる違和感

女性の社会進出の促進、また経営幹部における女性比率などの代表性の性別差、組織内での女性のエンパワーメントが問題となって久しい社会。

その中で、よく目にする言論に、「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が高い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティブ」という、「女性が組織にいることによるメリット」を主張するものがあります。

しかしながら、そういった言論を目にすると、やはり女性の社会進出や代表性の問題は解消しなければならないと思う一方で、違和感を覚えます。それは、女性の社会進出がおかしいという意味ではなく、そういった「女性が組織にいることによるメリット」を強調する功利主義的な主張を用いて、女性の社会進出や代表性の問題を語ろうとする点です(これは、女性だけに限られた問題でなく、人種の多様性等々にも言えることであると思いますが、今回は女性に限定します)。

Xを投入することによって良いYが得られるからXは良いもの・ことであるというのは、営利企業や資本主義の基本的な考え方ではあり、またシンプルで理解しやすいとは思いますが、それは二つの観点から違和感を感じます。一つに、期待したYが得られなかった場合への考慮がないこと、二つにX→Yを計測というのは簡単ではないということです。

一つ目のYが得られなかった場合への考慮がないということは、Xを投入することによって良いYが得られるからXは良いもの・ことであるというのは同時に、Xを投入することによって期待したYが得られなかった場合、論理的な観点からすれば、Xの投入は抑制される論理も暗黙に容認してしまっているということです。「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が高い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティブ」、だから女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントは重要なことなのだという論理は、期待したYであるアウトカムや組織のパフォーマンスがXである女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントによって得られることを理由にそれらを支持する立場をとっていますが、この議論は期待したYが得られるかどうかに依拠しています。したがって、期待したYであるアウトカムや組織のパフォーマンスがXである女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントによって得られないことを理由にそれらを支持しないという議論も当然この議論の枠組みに入ってきてしまいます。つまり、「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が高い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティブ」、だから女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントは重要なことなのだという論理はデータ的に正しいかどうかは別にして、「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が低い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティブでない」だから女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントは必要ではないというタイプの議論の余地も論理上は是認してしまっているのです。

二つ目のX→Yを計測が簡単ではということは方法論的に女性が社会や組織にいることの効果を明らかにすることは簡単ではないということです。例えば1996-2003までのs&p1500の女性取締役の比率とROEの関係性を示したAdams (2016) (1)などを見たりしても、会社の固有の効果を入れると女性→ROEの正相関が負の相関性を持つようになったりするといった結果も見られています。また同論文で指摘されているように、そもそも取締役やリーダーだけで規定されるわけではないし、経営などのアウトカムに与える要因は色々とあるわけだから、単純な相関関係をもとに、女性がいることによるメリットを主張したとしても果たしてそれが本当に因果関係であるかどうかは不透明であることが多いように思えます。また、ワンショットの調査で分かったことを他のことに適用する際には、常にそれが果たして調査のサンプル外でも見られるかどうかという外的妥当性という問題が付き纏います(2)。つまり、「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が高い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティビティ」が高いという、「女性が組織にいることによるメリット」を主張するタイプの議論は、そもそもそれの根拠となっているような指標が、本当に女性がいることによるメリットを推定できているかどうか、またそれがその調査の対象となった組織外で成り立つのかどうかというのは、相当注意して見なければなりません。また例えロバストな手法で女性がいることによるメリットが明らかになったとしても、一つ目の観点を援用すると、ロバストな手法で逆のことが明らかになった場合、それをも是認されることになってしまいます。

以上が私の「女性が経営幹部に入っている企業は〇〇のアウトカム(〇〇に入るのは売上等)が高い。」、「女性がいるチームの方がよりクリエイティビティ」が高いという、「女性が組織にいることによるメリット」を主張に対して抱く違和感です。まとめると、それらの言論には、女性がいることによってメリットが発生しなかった場合の考慮がなされていないこと、またそもそも女性がいることよるメリットを測ることは方法論上簡単ではないということから、それらの言論は女性の社会進出や組織内でのエンパワーメントをうまく擁護できていないということです。

最後に、この問題に対する解決策、そして私の主張を述べさせてもらいます。それは、女性の社会進出やエンパワーメントは社会正義的観点、人間が持つ原初状態の観点から充分に擁護できるというものです。ジョンロールズの正義論(3)の中で人間は、各人に対する基本的自由の平等な権利 (第一原理)を持ち、社会の不平等は(a) 彼/彼女らが最も不利なメンバーにとって最大限の利益をもたらすようなものであり、(b) すべての職位や役職がすべての人に対して公正な平等な機会の下で開かれている場合、容認される(第二原理)とされています。この社会正義、原初状態の観点を援用すれば、女性の社会進出は第一原理の観点から当然のこととして考えられるし、組織内におけるエンパワーメントや代表性の問題は第一原理、第二原理観点から当然解決されるべきです。つまり、社会正義や原初状態を用いることによって、上にあげた二つの問題点のような、ある種の脆さや危うさが解消されると考えています。

もちろん、様々な立場があるし、私の主張に対する再反論もあると思いますが、いずれにせよ、こういった社会の多様性が促進される問題がメリットの有無によって語られるのではなく、社会正義や原初状態として、定言命法的に語られるべきだと考えています。


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