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自分は人を見る目があると誰もが思う

ふと感じたことを綴ります。

組織というものを離れても
残った縁の中から風の便りのように
現状というものは伝わってきます。

去った者には何かをする権利や資格もありませんが
怒りや悲しみは覚えてしまいます。

ある副主任から主任へと昇進した方は
得意絶頂のようで
職員の批評批判を系列園の先生に話しているようです。

自分の同僚であり、部下ともいえる人たちの悪口を
外部の人に平気で話し
あらを探しをすることで
優越感や全能感に浸るのは
管理職という人の立場に立つ人間としても
人としてもいかがなものかと思ってしまいます。

今そこにある資源と人員で
最大限の成果を出すことが管理職の役割のはずです。
それがわからない人が上に立っても
組織としての成長はないでしょう。

それでも上層部はそんな方を
これからも後押しし、上にあげていくのでしょう。

これは決して特別な例ではなく
日本全国でありふれた景色なのではないでしょうか?

人は誰もが「自分は正しい」と思っています。
第3者から見ておかしな人事でも
「自分の人事は正しい」
「自分の引き上げた職員はいいはずだ、なぜなら・・・」
と決してその判断が間違っていたとは考えないでしょう。

当然、それは私自身もそうです。
この文章も「自分の意見は正しい」という前提でなければ
人に見られる場に書いたりはしないでしょう。

「自分は間違っているかも?」
という気持ちは忘れたくないものです。


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