抽象化に囲まれた保育
保育の啓発本や研修の中には
「いいこと書いてる」
「いいこと言ってる」
と感じることは多いかもしれません。
ですがそれが実践にどう使えるのか?
結局何をしたらいいのか?
については実は論じられていないことが
ほとんどだと感じています。
なぜそんなことが起こるのかを
ふと考えたので綴ってみました。
仮説①『確証が少ない』
仮説②『責任を負いたくない』
の2点ではないかと考えられる。
まず①は「保育に正解はない」と言われるほど
保育というものは結果を
数値などで明確にとらえることや
成長の因果関係や時間軸という点からも
証明が難しいものでもあります。
確証をもって伝えられるのが
「子ども一人ひとりの主体性を大切にした保育をしよう」という
具体背に欠けるが誰も否定しようのない
精神論や意識改善の話になってしまうのではと考えられます。
②は少々邪推からもしれませんが
大抵は「○○大学教授」「○○園 園長」という
肩書がついた方々が書いていることが多いです。
「こうやるといいです」と書いてしまうと
「やってみたけどうまくいかなかった」
という批判を避けているのかもしれません。
仮説でも良いので具体例を挙げてもいいのではとは思いますが・・・。
ここまでの内容は
少々偏見があるかもしれませんが
「抽象的すぎる」というのは
私が保育に関する研修や書籍を読んでの
共通して感じる感想です。
「いいことを書いてる」「いいことを言ってる」
という感想で終わるのは
結局は大人(受講者と講演者双方)だけの
自己満足でしかないように思います。
その学びが結果として現場にどう実践もしくは導入するのか?
子どもたちにどう生かされるのか?
その先の手段の具体化を0~100まで
現場に託してはダメなのではと思います。
(※もちろん現場の努力も必要です)
こういう話をすると
「現場ごとに状況は違う
だからこそ園全体で話し合いの場を作り
みんなで作り上げていく必要があるんです」
というもっともらしい声が聞こえてきそうですが・・・
その話し合いのゴールや指針は誰が立てるのでしょうか?
方向性の修正は誰がやりますか?
タイムキーパーやファシリテーターの設置は?
話し合いの方法はどうしますか?
時間はどう確保しますか?
職員の体制は整えられますか?
フィードバックの機会を作る必要性は?
その他、配慮事項はありますか?
などなど
抽象的で絶対的な正しさの陰には
事前に検討し具体化するべき課題や配慮事項が詰まっています。
それらを明らかにしないまま
ただもっともらしいことを並べても
何も改善されないのではないだろうか?
『私の言っていることは正しいと思う
と同時に
私の言っていることは間違っているかもしれない
という疑念が同居する姿勢』
そうやって今の時点で出せる
より具体的な仮説を出し続けることが
保育に関わる全ての人に必要なのかもしれない。