「イデアの探究―空と海を渡って―」

 Discordで知り合った、すっぺらこっぺらさんというHNの方の考えを参考にしたのだが、意味の可能態の世界と、その現実態の世界とを、沸々と煮え滾るお湯に喩えられるかもしれない。沸々と煮え滾るお湯は、その中に揺らぎを持っていて、それが意味の可能態になる。そしてお湯の泡沫が現実態である。この比喩は正しく、可能態の揺らぎを作っているのは、熱によるエネルギーなのだ。そしてそのエネルギーが上昇し終えた時、泡沫となる大気に発散される。

 重層的に見てみよう。煮え滾るお湯の中は魂の場である。そしてその泡沫は意識であると言えよう。現象の世界とは泡沫の世界だとも言えよう。私たちは広大な魂の世界、夢の世界の中にいながら、そこにポツリ、ポツリと泡沫のように意識が起きる。しかし或るものを意識したその直後、そのものは破裂するように消えていく。可能態の中に還元されていく。前述したように、記憶という可能態の場に還元されていくのだ。

 この現象は意味の世界のことでもあるのなら、当然、言葉も関連してくるのだが、この場合、言葉は泡沫のことである。言葉は瞬間的に現れ破裂する。発音の場に即して考えてみると分かりやすい。子音というのは、発音した時だけ現れ、その音を伸ばそうとしても、母音という、言葉における可能態に還元されてしまうのだ。母音が言葉における可能態であるというのは、どの子音も母音を潜在的に持ち合わせている、ということから窺える。また、子音ははっきりした音なのだが、母音ははっきりしない音である。分節化が子音によって為され、分節前の言語が母音だと言える。赤ちゃんの言葉を想起すると分かりやすい。

 パロールのパロール足る所以は、響きがあるところだ。そして響きは音を大きくしたり、伸ばしたりすることで成立する。その現象は母音によって成り立っている。すなわち響いた音は母音である。世界は静けさの中にある時も、母音が響いているだろう。それは気付きにくい音ではあるが、裏を返せば、無意識の方、魂の方に響いている音なのである。
 例えば楽器が奏でる音は、人間の歌の歌詞ほど子音が豊かではない。しかし逆を言えば、それだけ顕現しない、可能態をそのまま表現しているのである。BGMとしては歌詞があるよりも、可能態がそのまま流れている方が、気疲れせず済む。
 前述した、印象というものが、音と照応関係にあると考えると、印象には母音的な印象と、子音的な印象があることになる。印象もまた二重性を持っている。記憶に近い、より無形な印象は母音的であり、印象に残った瞬間は子音的であるということが出来る。

 瞬間的直感というものがある。というより、むしろこの瞬間的直感は、意識の本質的なものである。私たちの意識と意味は、同伴するようになっているが、ここに先に出した煮え滾るお湯の比喩であれば、私たちの意識は泡沫である。そして瞬間的直感は、まさしくこの泡沫に関わっている。
 これは何度も言っていることなのだが、私たちは無意識の場から、何がしかの事物を意識する。この無意識の場から、何がしかの事物を瞬間的に意識する、移行現象を瞬間的直感という言葉で表すことが出来る。直感とは何となく感じていることであり、私たちの意識は、いきなり意識することから始まるのではなく、無意識に触れていることから始まる。ここで触覚が大事になってくる。前著でも述べたことだが、触覚はまさに情報と照応関係を持つ。

 情報というのは、情の報せ、という言葉の通り、情という意味の状態の報せを受けることである。ここには当然、報せがあるのだから、もう印象と照応関係にある音、聴覚的な器官が関わってくるのだが、それにしても、いやそれよりも根源的に私たちは触覚的な感覚を以て、情報を受け取っているのである。

 前著では、触覚と情報、性、愛と意志、というものを重層的に語ったのだが、触覚はまさに愛撫、伸ばす手、掴む手、等、愛と意志、性と照応関係にあるのであり、それは情報の情的なものと関わってくるのだ。
私たちはいつも触れている。いつも何かに触れている。それは私たちの意識が及ばずとも、起きている事柄である。

 意味作用というものを前に考えたが、意味作用というものが、物と物が作用・反作用することと照応関係にあるなら、意味作用というのは、まさに意味と意味とが触れ合うことの関係である。そして物と物が触れ合う時、そこに様々な力が加わるのだが、そのエネルギーは熱であったり、圧であったりする。それが意味作用でも起こっている。先ほどの煮え滾るお湯では、熱の意味が込められている。可能態とはまさに熱のこもった場であり、したがってそれは魂の情熱のこもった場であることなのだ。

 私たちは魂の情熱を、浄化するため、表現し、生きている。この形式は世界の形式である。物質にしても、エネルギーが現れるまで溜まった時に、現象するということが起きるのだ。このエネルギーは前述した通り、揺らぎである。

 ところで揺らぎとは、空においては風、海においては波である。波と風が重なることをよく示すのは、佐相憲一の詩集『森の波音』だ。
宇宙船というのは、宙を飛ぶはずだが、海を渡る船という言葉が入っている。鳥は空を飛ぶはずだが、その翼でペンギンは海を泳ぐ。
空における風も、海における波も、その空間自体を揺るがすもの、すなわち揺らぎなのである。対象ではなく、述語的側面によってこれらは重なっている。

 空と海が統一されているのは、宇宙だろう。通時的に考えれば、事態は当然、宇宙から分節されたものとして、空と海があるのだが。
しかし同じ揺らぎでも、空の風は、海の波よりも柔らかい。空の方が形而上に近い。このことも煮え滾るお湯の比喩は、よく示していると言えるだろう。私たちは海の中で練り上げたものを、空に向かって表現することで、幸福に至るのだ。

 海とは呑み込むもの、抑圧するものなのだが、空というのは、その抑圧されたものを発する、すなわち表現する場である。海の水分や暗さは陰険さになるが、空の乾きや明るさは陽気さになる。ただ事態はより重層的であり、空にも曇りや雨があるのだが。だからこれはあくまで傾向のことだと言えるだろう。

 海は空を映す。そして空の水はまた海に移る。このうつし合いは、意味の世界にとって何になるだろう。空には形而上の世界が広がっているのだ。空にはイデアやエイドスがある。それを海は映す。阿頼耶識が意味の場である、と土田杏村が言ったのは、阿頼耶識にはイデアやエイドス等の、理がある、すなわち真理がある、という意味だろう。ここらへんはまだ探究の余地がまだまだあるが、暫定的に空を阿頼耶識としてみよう。海は阿頼耶識を映している。

 私たちは二重の見を持っている、いや、事態は三重かもしれないが、阿頼耶識にあるイデアをその目に映しながら、事物を映すことが出来るのである。これは何もそんなに非日常的なことではない。実際これが出来ないならば、私たちの思考は何の意味も為さない。私たちは何も分からないと言いながら、何かに向かって思考する。何も分からないというのは、私たちの事的な見であり、それでも何かに向かって考えられている、その何かはイデアなのだ。ここではいわば、個人的な主観、すなわち小我の認識と、大我における意味(イデア)のが二重の見を以て見られているのである。

 瞬間的な直感は、まさにこのイデアに触れている。それは重々無尽に連鎖する、意味作用を通して。メルロ・ポンティの議論だったと思うが、杖を持ちながら、壁を叩く、すると壁の固さが伝わってくる。私たちの触覚における知覚は、物の作用・反作用が連鎖することを示している。そしてそれと同様に意味作用も存在しているのだ。

 これが形而上の意味作用においては、物ほど隔たりはなく、透過するように存在しているので、私たちは世界を超越するイデアを、透過作用を以て考えることが出来る。

 このイデアという概念は、はっきりしないのだが、アリストテレスがそれを批判的にエイドスという概念に仕立てた。ユングは自身の元型という概念を、エイドスのことだと言った。私ははっきり言えるのだが、まだエイドスにイデア的な意味が残っているなら、イデアを探究するというのは、まさにこの元型を探究するということである。

 そして元型というのは、事物としての対象ではなく、述語的側面から定められる必要がある。私は何度も言っているのだが、食べ物とその味は、言葉とその意味を象徴する、と見なした。その時、この二つの中間領域に当たるもの、すなわちM領域に当たるものが、この二つの述語的側面なのである。食べ物と言葉というのは、対象としては全然違うものであるが、述語において、二つは重なり、象徴的であると言える。元型を探究するというのは、まさにこの方法論で行われるべきである。イデアを、エイドスを探すというのは、美しい象徴を探すことなのである。芸術的な営為であるとも言えるだろう。

 そしてこの中間領域、M領域という場は、ただただ働きのみがある場である。この場をエネルギーの場、揺らぎの場と表現することが出来るだろう。こここそが、空を映す海の場である。井筒の意識の構造モデルでは、意識のゼロポイントが先ず出立点とされ、そこから元型や種子が宿る阿頼耶識があり、それと表層意識を媒介するM領域がある。先ず意識のゼロポイントというのは、そのまま宇宙の中心であると言っていいだろう。しかし偏在する宇宙の中心である。そこから阿頼耶識という宙(空)があり、それを映す海の場、M領域がある。そしてその海の場、M領域によって明らかにされたイデアは表現され、泡沫として現れ、空に発散され還っていく。形而上的なものが先ず在ったのだが、私たち人間は海にそれを映し、それを言語化する。それは形而上へと合わされ、還っていくのである。

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