見出し画像

大きな川 3/4

相撲を始めてうまくいかない日々が続きましたがようやく軌道に乗ってきた
そんなタイミングで僕は大怪我をしてしまいます

その時の相撲クラブの監督の悔しそうな顔が忘れられません
相撲には怪我がつきものだけど14歳でこれはあまりにも早すぎる
しかしこのタイミングではあまりに若く、まだ身体の成長の余地があるのと、試合が近づいていたので手術をせずに、できる処置をすることになります
(これが後々大事になります)

絶望感を覚えながらできる相撲を続けていた中学3年生が始まる頃、今後の人生を左右する方と出会います
高校の監督が変わりました
高校に稽古に行ってた私としては指導者が変わることになります
この監督がめちゃくちゃ厳しかった
就任初日から稽古の量が倍になりました
あの日のお通夜みたいな稽古場は今でも忘れません
そして僕への"あたり"がすごく厳しかった
"今ではやってはいけないこと"をたくさんやられた覚えがあります
その頃、親に「稽古を見にこないでくれ」とお願いしました
あまりにけちょんけちょんにされる僕があまりに惨めで見せられなかったからです

ただ…今冷静になって考えると、その監督、指導力はあったんですよねぇ
自身も全国トップレベルの結果を残していて教え子も幕内力士になってる
しかも、その監督は膝の大怪我をしています
(膝から骨が突き出るってやばすぎ)
膝の怪我の怖さをよく知ってる、そんな経験が僕の膝の怪我をよく理解してくれ、時には厳しく、時には優しく寄り添ってもらいました

今思うと本当にかわいがってもらってたなと思います
遠征の時「お前は俺の助手席以外に座るな」って言われてたんです
遠征の行き帰り、いっぱい相撲の話をしました
お前はあいつを見習え、今日の稽古はここがダメだった、あいつの相撲をどう思うか、いろんな叱責をもらいます
でも一番怖かったのは

「運転中、俺が寝てたら絶対起こせ」

でした
毎回死のドライブさせられてるの怖すぎ


そんな実績のある監督のおかげで僕は心も体も技も目まぐるしいほどの成長を遂げます
(当時はただただ嫌でしたが…)

その頃あたりから、同級生のわんぱく優勝した子といい勝負をするようになってきます


ここでまた選択の時期がきます


中学卒業のタイミングで3つの選択肢があがったのです

①市内の進学校に行く
言いにくいんですが当時は割と勉強できる方でして…
卒業後は多くの人が大学に進む

②大相撲に行く
小学生のころに勧誘された部屋に行く
親方は来るなら中卒で来てほしいと言っている

③今稽古に行っている高校にいって相撲をする
このしんどい稽古をまだ続ける未来が見える
高校は工業高校で卒業後は就職がメイン


これはあまり迷わずに③に決めました
③で大学に行くという選択をこの時点で決めました
この時からすでに東京の大学への興味が湧いていたのです

なんか東京ってかっこいいじゃん?

みたいな

美味しいご飯とか有名人とかいそうじゃん?

みたいなミーハーなところです

じゃあ①でもいいじゃん、と思うかもしれませんが、その高校は主に九州内の大学への進学が多く、行っても関西くらい

②でも東京いけるじゃない、と思うかもしれませんがこちらはハイリスクハイリターンで、もし関取になれなかったらなんの学歴もないまま放り出されるというリスクがあります
怪我も考えるとこのタイミングでは取りにくい選択肢です

最後に③、この選択を後押ししてくれた方がいます
中学3年の時の担任の先生です
その先生は陸上でスポーツ推薦で大学に行き、それから先生になった方でした
他の中学の先生は③を推したのですが、その先生が②からスポーツ推薦で大学に行くことができることを教えてくれ、それを強く推してくれました
結果的にこれは大成功でした(大感謝)

高校に進学した僕は引き続き厳しい監督の元、めちゃくちゃきつい稽古をしました
これは人生で辛かった時期トップ3に入るなぁ…
年間休日5日くらい、盆と正月くらいしか休まない、毎週末はどこかと合同稽古、そんな生活を続けました
(そのスケジュールで動いてた監督もすごい、大感謝)
途中幾度と怪我をしながらですが、少しずつ強くなり、全国大会でも少し結果が残せるようになりました
その頃にはわんぱく優勝の子に負けなくなりました

それなりに結果も伴ってきたのと監督の顔の広さで程なくスポーツ推薦での僕の大学進学が決まります
3年越しの狙いの一手が見事決まることとなりました
先生、監督、家族、その他多くの方に支えられて大学進学が決まったのです

そして僕はこの街を出て東京に出ることが決まったのです


生まれ育った街を離れるのに不安や恐怖もありましたが、それと同じくらいの興味と期待もありました

地元を離れる最後の日、僕は地元の神社でお参りをして、大きな川を渡り、TSUTAYAにCDを返しに行くのでした


もうちょっとだけ、つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?