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大きな川 1/4

僕は大分県の西部で生まれました
僕が生まれた時、街にはマクドナルドがありませんでした
僕の故郷は山に囲まれていて、その山がもたらした水はちょうど洗面台のように中央へ集まり、大きな川となって街を流れます
その川は故郷の味方となり文化や産業を支えていました
しかし、時には大水となり大きな被害も生んだのも事実です

あるモノの大きな特徴というのはその扱いによって敵にも味方にもなります
それはその特徴が大きくなればなるほど顕著です
その特徴を持つものはそれがもたらす得や損に一喜一憂します
これが人となると、より大変なことですね

これは"とても大きな体"という特徴を持った私の話です


1991年7月9日、母は帝王切開をし、僕は未熟児として生まれます
おおよそ2000gしかなかった僕は保育機に入れられ他の子達と並べられます
祖母が我が孫の顔をガラス越しに見ている時、他の方が「この子小さい〜」と言いました
その言葉に祖母はものすごく腹が立ったようです
「この子は健康で太く育ってほしい」と思った祖母と母はこの子に「健太」と名前をつけます

後にその願いはものすごく叶ってしまいます

4歳になる頃、僕は剣道を始めます
それは祖父が剣道の師範代、母が社会人の西日本チャンピオンという環境のため始めたものでした
運動をすると成長が始まるんでしょうか、その頃から周りの子と成長の度合いが変わってきます
小学校に入学する頃には他の子に比べて縦も横も二回りほど大きくなってました
周りの子よりも大きな体、悪く言えばデブです

出る杭は打たれます
僕は同級生、上級生のいじめの対象となります
そんな僕はみんなのことが嫌いでした
そんな僕は自分のことも嫌いでした
そんな僕は自分がデブであるということが大嫌いでした

それを見ていた小学校の校長先生は僕にある提案をします

「わんぱく相撲に出てみないかい」

校長先生としてはこの子が活躍できるところを作ってあげたい、という意図だったと思います
でも僕はあまりいい気がしませんでした
この人は僕がデブだから声をかけてきている
僕が嫌いなデブであることを僕を誘ってる
ましてや人前で裸になるなんて
全く気乗りがしませんでした

でも僕は気が弱かったんです
誰かからお願いされると基本断れないのです
周りの賛同も得て、あれよあれよという間に僕は市のわんぱく相撲に出ることになります

そして、案の定、準優勝という素晴らしい結果を残しました

優勝した子は小学生向けの相撲クラブに通ってる子でした
僕よりも全然体格が小さかったのに全く歯が立ちませんでした
他の学年の上位もその相撲クラブの子が総舐めしていました
僕はこの街に相撲クラブがあることを知ります

知ったとほぼ同時に僕と母に声がかかります
相撲クラブの監督さんはこんな大きい子を目の前にして黙ってはいられなかったようです
僕はその監督から「一緒に相撲をやらないかい」と誘われます


僕はその誘いを断ります

幼ながら相撲はデブがやるものだと思っていました
今となっては、そんな訳ない、それは相撲の一側面だ、とわかるのですが幼い僕にはそれがわかりませんでした
そんなデブがやるもの、それをやってしまうと僕がデブであることを僕が認めてしまいます
わんぱく相撲の大会という一時的な場では許せても、それを続けるというのは訳が違いました

なので僕は相撲クラブからの誘いを断りました


その後4年間断り続けました


つづく

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