人に依存してしまう自分との向き合い方

僕は人に依存してしまう人生を送ってきたように思う。
幼いうちに両親が離婚して、きっとそこからずっと愛情ってものに知らず知らずの内に飢えていて。それからというもの、様々な人と付き合う中でずっと誰かに愛されたいと思って、ずっとずっと生きてきたように、恥ずかしながら最近気がついた。
ただ気がついたはいいけれど、どうすればいいかわからず精神的に不安定になる毎日は続いていて。だけれども「人付き合いの中で自分が幸せになるためにはどうしたら良いか」と考えている内容でも、今日は書こうと思う。

10年ほど前に大学時代に付き合った彼女と、最近ひょんなことから出会った。久しぶりに合う彼女は、自分の知らない仕事場の同僚と結婚したということで、相変わらず口が悪く旦那のことを色々と言いながらも、確かに幸せそうに新生活のことを話していた。
僕にとっては人生で二番目の彼女で、当時の記憶もあまり思い出せない。唯一はっきりと覚えているのは、彼女が「私幸せだよ」と別れた後しばらくして言ってくれたこと。寝取られたり、その相手を紹介されたりして、当時はとてつもなく傷つきかなり精神的に思いつめられて道路に寝そべったりもしていた(友人が駆けつけてくれて助けられたのは余談)
そんなある日、夜な夜な一人で酒を飲み、自暴自棄になったある日、私が飲み屋でぐったりしていると友人経由でその彼女に連絡が入り、彼女が私を迎えに来てくれたことがある。本当に情けない男だ。

彼女「なんでお前そんなになるまで飲んだんだよ…」私「…もう君のことを自分の手で幸せにできないのが辛くて」彼女「そっか。…でも私今、幸せだよ?」

そこで、なんとなくだけれども「ああ、ならいいかな」って思ったのを今でも本当に覚えている。それが愛なのか諦めなのかなんなのか定義付けはできないけれども、「彼女が幸せならそれでいい」と確かにそう思ったのだ。
その一言以降、自分はようやく自分を取り戻せた。本当に彼女のこの言葉は僕を救ってくれた言葉だったし、幸せにしてくれた。

自分の人生の目的は、自分が幸せになることだと思っている。
ただ、人生に劇的なことなんて何一つないし、日常は退屈だ。
そんな中でも僕が幸せを感じる瞬間は、他人とのコミュニケーションの中に多くあると思える。自分を通じて誰かを幸せにできたとき、本当に喜びと幸せを感じる。だから結構自分は、自分が幸せになるために人に依存しやすい。人に依存している。
それが恋人であるならばなおのこと自分の手で幸せにしたいし、幸せになってもらいたい。その思いはきっと死ぬまで変わらないし、変えられないと思う。
だけれども、綺麗事かもしれないけれど、同時にその人が幸せならなんでも良いと思う自分もいる。その人の幸せが自分の幸せに通じるというのならば、それもまた一つ新しい自分の依存の形なんだろう。

こんな不安定な依存をやめたい、断ち切りたい、直したいとは思う。
ただし、きっとそんなの無理なのだ。少なくとも現時点の僕は思う。
けれども、自分の中の依存の比率を変えることは少しずつでもできる。
辛くて苦しくて情けないかもだけれども、少なくとも誰かの幸せを願い、喜んで、幸せになるということは、きっとできる。

まずは無理に依存をやめるのではなく、現実を受け入れて(受け入れるのが辛いけど)、「自分にとって幸せってなんだろう」って考えるのが、依存に対する自分の向き合い方。
そこから他者や、自分への愛を培えるようになると幸せになると信じて、今日も生きています。

世界の隅っこで慎ましやかに生きていますが、まずはここまで読んでくださったあなたに感謝を。今日もいいことがありますように!