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聖隷クリストファー高校について

聖隷クリストファーが昨年秋の東海大会の準優勝ながら、甲子園出場2枠から外れました。私はあまりルールに詳しくないですが、上位から選べば優勝、準優勝の二校が選ばれるのだと思いますので、おそらく順位以外の基準が存在するのだと思います。これまで頑張ってきたのは子供たちですから、子供たちが納得できるようにまず「明示されている春の高校野球の選考基準」を明らかにして、なぜ選ばれなかったのか公開の場で説明する必要があると思います。

準優勝なのに選ばれていないのは問題だという声もありますが、事前に選考基準が明示されていてそれに従って選考したのであればこの選考は問題はなく、ただ基準に従っただけということになります。つまり

①選考基準はどうなっているのか
②選考基準から見てその選考は妥当で、社会の理解は得られるか
③②が難しい場合そもそもの選考基準は適切なのか

という順番で考えるべきだと思います。もし著しく不公平感を皆が持つのであればその選考基準自体が問題だということになり、その基準自体を変更する必要があります。時々日本の組織はそもそもの選考基準自体を制定していないかまたは公開していなかったり周知させていなかったりしますが、これではそもそも選考を行う組織の体を成していません。

参考資料 2020五輪選手選考基準(水泳競技)

ブータンという国は王政だったのですが、15年ほど前に選挙で首相を選ぶ民主主義に変更されました。その際に王様が話されたことが印象に残っています。「良い統率者の時は良いかもしれないが、そうではない時もあるかもしれない。その時にきちんと変えられるシステムが必要だ。だから選び方を決めておくのだ」という趣旨だったと思います。ガバナンスが効いている状態を作るには「決めるルールを決める」ことが大切です。これが民主主義システムの根幹でもあります。どうやって選べば皆にとって公平だろうかということを話し合って決定しその基準に従って決定をします。繰り返しになりますが一度の決定そのものが良かった悪かったと議論するのではなく「決定するシステム」を作ることが重要です。

日大理事長の問題がありましたが、実はルールを破ったという問題はありませんでした。全てルールには従っていたのですが、そのルール自体が自身を解任させられないような風に設定してありました。ですからルールを決めるということはとても重要で、だからこそルールはしっかりあるか、ルールはきちんと守られているか、ルールがおかしい時はきちんと改善可能か、というチェックを働かせることがとても大切になります。

また裁定に対して救済があることは極めて重要です。一度決定されれば覆せないシステムは、それが重要なことであればあるほど危険です。たった一度の決定が覆せないとすれば冤罪の方を救う方法がなくなります。社会にはそのために裁判所があり、何かあった際には公平に判断するために第三者委員会を設置したり、組織内の問題が発見できるように通報できる仕組みを作ります。どれも社会の中で当たり前のことなので、子供たちが教育の一環で不服があったときは然るべき場所で主張し裁定してもらうプロセスを学ぶことはとても重要なことだと思います。調べても分かりませんでしたが、高校野球は不服があった時選手もどこかに自分たちの意見を言える場所を持つ必要があります。

高校野球は教育的側面を重視しています。私は素晴らしいことだと思っています。教育において重要なことは個人の可能性を伸ばすこと、そして民主主義システムの日本の中で良き市民となることだと思います。ある一箇所で決まったことが絶対であり、そこに対して議論をすることは全体の秩序を見出すことであるから黙って従うしかない文化がもし高校野球の現場にあるなら、それはあまりにも一般社会の常識とずれてしまっています。もしそのような教育が行われているならば、現場では良かれと思っていても、実際の社会からは全く望まれていないということになりかねません。だからこそ風通しを抑止、社会にオープンにして様々な意見を取り入れていく必要があります。

この選考が正当なものかどうかは私にはわからないのですが、少なくとも公開された場で決定の正当性を子供たちが納得できるまで質問に答えきる機会を作るのがいいと思います。決定されることと納得することはまた違い、きちんと説明しきることが責任者には求められます。子供は大人の姿を見て学んでいますから、なぜこの選考が正当なのかを説明し、そこに各人が意見を言い議論をしまとめていく様子を見せることが素晴らしい教育の場になると思います。

参考資料 日本学生野球憲章の矛盾

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