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自分との約束が破れない

わたしは割と何事に関してもルールを決めてやるのが好きというか、自分縛りを決めて取り組むことが多いのですが、最近それが自分の首を絞めているのではないかと思うようになりました。

5年ほど前にフルマラソンを走るためのトレーニングをしていた時、自分が立てたメニューにかなり忠実にトレーニングに励んでいたことがあります。ある冬の日吹雪に見舞われた時も、凍える吹雪の中を馬鹿正直にその日のメニューどおり8マイル(13㎞弱)走りました。夫には本気で呆れられました(走りに行く前に真剣に止められた)。

よく考えてみたら別に一日くらいトレーニングを休んだからといって死ぬわけじゃなし(ホンマそれな)今日はこんなお天気だからしょうがないよねと笑って家でホットココアでも飲んでいればよかったんですよね。まあそれができる性格だったら最初から吹雪の中長距離走りに行ったりしてないんでしょうけど(笑)

グレッチェン・ルービンさんの「人生を変える習慣のつくり方(原題:Better Than Before)」によればわたしは典型的な「アップホルダー(約束を守る人)」でした。特徴は「外からの期待と内なる期待の両方に進んで応えようとする」です。

そう、わたしは人と交わした約束、自分で決めた約束に関わらず「約束が破れない人」だったんです。約束は絶対に守るので納期に遅れることはまずなく、自分が定めたタスクをやり遂げることができる。やると決めたことは絶対にやるのがこのタイプです。

この「何がなんでも約束を守る」って、一見すごく素晴らしいことに見えるのですが、一度決めてしまった決まり事にどこまでも忠実に盲目的に従ってしまうのって時に危険だなと思います。なぜなら融通が利きにくくなるから。

YouTube毎日更新を始めた時「とりあえず100日までやってみる」という目標をある時点で立てました。誰に強制されたわけでもなく、ただ自分で100日はやろうと決めたわけです。

そして、あと数日でその目標としていた100日目が訪れようとしています。さて100日が過ぎたらどうしようか?

毎日習慣として何かをやることの効力というのはすごくて、そこに意思の力を介在させずにオートパイロット(自動操縦)で何かを淡々とこなしていくことができるので複利の力でどんどん結果につなげていくことができます。

だからこれからもその習慣の力はどんどん利用していきたいと思っているんだけど、それと同時にもうちょっと肩の力を抜いてラクにやってもいいんじゃない?と最近ちょっと考えるんです。

たとえば「毎日更新」というルールがなくなったら、朝起きてお天気がいいから今日はちょっと遠出してみようかな?とその日の気分で朝からお弁当を詰めて出かけることだってできる。その日の夕飯を作る様子をビデオに収めて次の日にビデオでアップロードすることもできる。

フルマラソンのトレーニングを始めた時だって、最初は「やれるかどうかやってみよう」くらいの軽い気持ちでレースにエントリーしたのに、次第に目標がどんどん大きくなり、4時間代で完走したいとか(実際に走った時のタイムは4時間18分だったから、練習の成果はあったと言っていいと思うけど)、自分にはどうやら自分でどんどんハードルを上げてしまう癖があるんだなということに書いていて気が付きました。

結果を出すのは素晴らしいことです。でも、マラソンの醍醐味は走り切ることだけにあるのではなく、走っている途中の景色を楽しんだり、観覧者のみんなとハイファイブしながら走るところにもある。

目標としていた100日が終ったら、ちょっとスピードを落として自分が本当にやりたいことは何か?を腰を据えて考えてみようかなと思っています。

いただいたサポートは我が家の4匹のうさぎのお野菜代に充てさせていただきます(*'▽') むしゃむしゃー!