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ハロー、BUMP。ここにいるよ。be there 仙台4/8レポ

2年半もの間、会いたかった人たちに会うことが出来た。
画面の向こうにいた彼らを、一番近くで感じてきた。
ずっと会いたかった。会えて良かった。
生きていて良かった、心からそう思える夜だった。

4月8日、私は、2023年BUMP OF CHICKENツアー、 be there仙台公演day1に参加した。

初参加のため物販のシステムがわからず慌てたり、周辺駅でBUMPグッズを纏った同士の姿に感動したり、フォロワーさんと会ったり、時間を持て余してイオンを徘徊するなどして開幕を待った。

そして、蛍の光が響くころ会場へ。
午後6時15分ごろ、明かりが消え、魔法の夜が始まった。

アカシアのきらめくイントロが流れ出し、ライブはスタート。
バンプに触れるきっかけになった、大好きな音が響くのを聞いて、私は静かに震えた。二曲目のグンニグルを挟んで、バンプの代名詞である天体観測が中央の島で続く。歌詞の深さや、ギターのフレーズのかっこよさに今更ながら気づいたり、姿ははっきり見えなくても「そこにいる」と確かに感じる、繊細なのに力強い、藤くんの歌声と、聞き慣れたはずのフレーズが、何もかもリアルタイムで進行されている感覚が確かにしていた。

今まで私が知っているバンプといえば、宣材写真か、ネトフリのaurora arkツアーの映像だけだったから、歌う藤くん、煽るチャマ、喋るヒロ、笑顔のヒデちゃん。
メンバーが眼の前に存在している、ただそれだけで胸の奥が熱かった。

ヒロのトークが始まるときの「頑張れ~」って声援の暖かさ。
「せり鍋、焼き鳥…。あとせりの唐揚げ食べた」みたいな、ゆるくてふわっふわなトーク。
チャマの絶妙な似てないドラえもんのものまねが聞けて、観客としてそれに参加できたこと。
メンバー紹介でも名乗らないヒデちゃんの肉声が聞けたこと。大樹のようにステージにどっかりと座るリズム職人なのに、終盤でステージを走っててかわいすぎたこと。
そして、想像よりおじいちゃんぽい話し方をする藤くん。想像よりも、ずっとしつこく煽られて嬉しかった。

そして、終始言葉や人をとても大切にする姿勢を見て、ファンであることを誇らしく思えた。

マスクという隔たりはあれど、今、私たちは声を届けることが出来て、彼らもそれに答えてくれる。その当たり前なことを、何より尊く思えた。
後悔しないように、たくさん名前を呼んだ。私に出来ることはそれだけだったから。

MCを挟みながら、ライブは進んでいく。その中には、どこまでも人の弱い部分に寄り添ってくれる才能人応援歌や、藤くんの言葉の温かさを再認識できた66号線。コーレスがびっくりするくらい豊富だった新世界、SOUVENIRでは、メインステージに戻ったメンバーが、歌い出しと共に画面に四分割されて映されるのが、ものすごくかっこよかった。
そして、解禁したての新曲、窓の中からで今回のツアータイトル、be thereの意味を回収し、私の生き方を肯定してくれた大好きな曲、Go。レーザーみたいなライトと○×△が天井に映し出される演出が特徴的なray。最後に虹を待つ人を歌い上げ、ライブは幕を閉じた。

魔法のような夜が終わって、4日。彼らと過ごす時間は、決して長くなかったはずなのに、あの音が、あの景色が、まぶたの裏にずっと残っていて、未だ夢見心地。ただ、終わってしまったという事実だけが眼の前にある。

鞄に付けた入場特典のピクシーモブは、あの日の魔法と同じ色で、今も私たちのそばにいる。この光はいずれ消える。終わってしまった寂しさも、いずれ忘れるのかも知れない。

けれど、藤くんが言ったように、私は、私たちはあの日、確かに彼らとともに、BUMPの音楽を完成させたのだ。その事実は、あの夜は、消えないから。

BUMPの音楽は、これからも私たちのそばにいる。たとえ今すぐじゃなくても、必要な時は手を貸してくれることを、私は知ってるから。

あの日の記憶は、あの日だけの光は、

ピクシーモブの明かりは、まだ消えない。

手を伸ばし、触れると、応えるようになないろに光った。
根拠はないけれど、これまでもこれからも、ずっと消えないでいてくれるような気がした。

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