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【小説】スワイプ

「公平くんから最近LINEこないんだけど、忙しいのかな。何か知ってたら教えてね」

液晶に映し出された文面は、奈々さんからだった。

画面をスワイプして通知を消し、イヤホンで耳を塞いだ。

さいあく。
綾乃はイヤホンを2回タップして、乱暴にボリュームを上げた。


奈々さんが、先輩と食事に仲介役として私を呼んだのは、今年の1月末のことだった。私と公平さんは、そのとき会ったこともなかったが、同じバイトをしていたこともあり、行ってみることにしたのだ。

それから何度か食事に呼ばれ、始めは公平さんに対して、「女慣れしてそうで怖い」と言っていた奈々さんが、「好きかも知れない」と言いだした。

そこから、食事の席でもふたりとも意識しているのがだだ漏れで、私は完全に空気だった。
けれど先日、「元カノのことを引きずってて付き合えない」とふられたらしい。

この春から、奈々さんは社会人になり、公平さんは留学へ行く。
少し前に二人はバイトをやめた。
これから会うこともなくなるし、もう連絡は来ないだろう。
やっと終わった、と思っていたのに。

最近LINE来ない、って何?
相手からの連絡を常に待っているが、相手が何も送ってこない、ってこと?

「連絡してみたら返ってくるんじゃないですか?」
苛立ちつつも、極力棘のないように返信してみた。すると、すぐに

「返ってきました!最近忙しかっただけみたい!良かったあ」
綾乃はしっかりと描かれた眉を寄せ、その形を崩した。

その流れ、私を挟む必要なくない?

しかもその感じ、やっぱり自分から何もしてないんじゃん。

なにそれ。甘えんなよ。

綾乃は夜道で舌打ちをした。冷えたアスファルトによく響いた。
がんこに染みついたお行儀の良さなんて吹き飛ぶほどに腹立たしかった。

綾乃は奈々さんのことがどうしても好きになれなかった、というか、
前々から感じていた違和感が、急に立体的になった感じがした。

奈々さんは以前、私に相談がある、と言ったのに、そのことを忘れて予定を入れ、「また時間あるときにでも電話で話す?」と、持ちかけてきたことがあった。
私は何も困ってないし、別に話したいことなんて何もないのに。

奈々さんは、自分のやりたいことを通すために「人のために自分がやってあげてる」みたいな雰囲気を出すのが上手くて、恩着せがましくて嫌だった。

加えて、奈々さんは、すごく「女の子」なのだ。
オフショルのピンクのニットに、柔らかく巻かれた黒髪。派手すぎないメイクに、小さな手に施されたクリアネイル。
プレゼントには手紙を添えるし、会話で声を荒げることも、頭を使った話をすることもない。

彼女の言葉や、仕草のひとつひとつには、綾乃自らが放棄してきた「女らしくあること」が詰まっていて、社会的な女の子の見本みたいな人だ。と思った。

純粋無垢で、期間限定の少女性を詰め込んだような、甘ったるい女の子。

小さい頃、綾乃の両親が綾乃に植え付けた理想そのもの。
望んだとおりの女の子。

綾乃はわかっていた。この感情が嫉妬からきていることを。甘えられなかった自身へのコンプレックスからくる嫉妬であることを。

でも許せなかった。意見も主体性もなくて良い、前時代的な女の子であり続ける彼女の姿勢が、助けて貰えるまで苦笑いして黙ってるだけで、愛されて、人から求められる彼女のことが。
そして、それでいて搾取もされない、彼女の境遇が大嫌いだった。死ねば良いと思った。

自分が何もしなくても、他人がどうにかしてくれるのは、当たり前じゃないのに。愛されてるのが普通のことだと思うなよ。

奈々さんは、自分に価値がある、って言われて、気持ちよくなって丸め込まれてるだけだよ。自分に好意があるなら誰でも良いんでしょ。


大嫌い。

「付き合えないってわかってても、日に日に彼のことが好きになってく私ってやっぱりおかしいのかな」

液晶画面にまた映し出される、奈々さんのアイコンと、見慣れた文面。


しね、と無意識に口に出ていた。
鼓膜に響いた言葉に自分で驚いて、綾乃は、はっと口を覆った。
絶対に言わないようにしてたのに。こんなこと言うなんて最悪だ。

口を覆った手の甲に、涙が伝ってきた。体の中が燃えているのかと思うほど熱い涙だった。

三月の夜は冷たく澄んで、煌めく星の輝きが、いっそう綾乃を惨めにさせた。

私が泣いている時に、あの人は楽しそうに、恋に溺れている。
この理不尽な状況に、涙が止まらなくなった。


私のことを道具として使うなってば。大嫌い。

でも、連絡してきてほしくないのに、ブロックすることも、返信をやめるのも出来なかった。

親から離れてもなお「よい子」を演じる私は、どうしても自分を悪者にしたくなくて、『ブロックしますか?』の次、『はい』が押せなかったのだ。

奈々さんは、私の気持ちにどれだけ気づいているのだろうか。
ずっと、周りの人間を傷つけて生きていることに、いつ気づくのだろうか。一生気づかないなら、なんて幸せな人なんだろう。羨ましい。

大きく息を吐いて、私はトーク画面の一覧から「なな」をスワイプして消した。
それ以上はなにも出来なかった。


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