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week15: 陰謀説、おもろいおもろい

新型コロナウイルスのワクチン接種が始まっている。

その是非いかんに関して語るつもりはない。あまりコントロバーシャルな話に首を突っ込んだ時、筆を一振り誤るだけで炎上しかねない世の中だ。

しかしこれだけは触れておきたい。陰謀説を唱える人々の存在だ。彼らはすっかりそれを信じているらしいので、陰謀説どうのこうのと意見するつもりもこれまた無い。ただ、よく思いついたな、と一周回って感嘆してしまったいるということだけは伝えたいのである。

ネットで「コロナワクチン 陰謀説」と調べるとその手の説が山ほど出てくる。これが見ていて面白い。世界の転覆を狙う秘密結社的な人たちがワクチン接種というお題目の上で、人類にマイクロチップを埋め込んで操作しようとしている、という考え方があるそうだ。これはかなり秀逸な脚本であるとさえ思う。マーベルっぽい映画が一本くらい取れそうな興味深さだ。と思っていたら、キングスマン(MARVEL)でそういえばそんな話があった。

他にはビルゲイツが仕込んだとか、コロナの流布自体が特定企業の金儲けのためだとか、その手の人々の想像力の豊かさには脱帽である。ワクチンを接種した人は5GやBluetoothに接続されるというのまであって、個人的にはこれが一番傑作だと思う。そのうち手首から糸がでたり、ビルの壁を垂直に登ったり、超人的な肉体が手に入ったり、体が緑色の巨人になったりという説まで出てきそうな勢いだ。

しかし一方で、ワクチンを接種したら不妊になるとか、癌にかかりやすくなるとか、普通に公衆衛生に害をなす様な説を流布する輩もいるようでこれは流石にいただけない。それを面白がってか、はたまた信じ込んでか、安易に拡散する輩も同じくらい阿呆である。しかし、考えてみればコロナが興り出した頃から陰謀説の類は囁かれ始めており、そういう世の中の動向自体はここにきて急に始まったわけではなさそうである。

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陰謀論が蔓延する背景にあるのは、ネットリテラシーの低さと理解不能なものに対する精神的な抵抗力の低さだと思う。特に若者に顕著で、情報を精査する力がかなり弱まっていると感じる。かつては「ソースは?」と聞き返すのが一種の煽り文句とされていた時代もあった(今はてんで聞かれなくなったが)。ほんとについこの間、ひと昔まえのネット界隈はシステムが少々煩雑なままにされていたおかげで、アクセスできる人々が一定レベルのネットリテラシーがある人に限定されていたため、情報の扱い方を心得ている人々でやりとりされていた。一方、昨今ではネットのアクセシビリティが飛躍的に向上し、早い話アホでもネットに書いたり読んだりできる様になってきた。つまり、情報の扱い方がわからないまま、その世界に飛び込んでいるため(にもかかわらず情報は津波の様に押し寄せる世界だ)、中身を吟味する力も身つく前に、情報に触れ、右往左往し、もはやコントロールされていると言っても過言ではないような奇妙な状況が出来上がっている。それはまるで、包丁を子供に持たせるのと同じで、正しく目的に沿って使えば生きていく上で非常に有利な道具であるのに対し、間違った使い方をすれば人を簡単に傷つけてしまう。そんな感じだ。

また一方では、その反動として、「私は真実を知っている。みんなは嘘に振り回されている」と信じ込んでしまう輩も生まれてきている。陰謀論を唱えている人はどちらかというとこちらのスタンスをとる。これは何かに似ているなと思ったら、マルチ商法・ねずみ講を進める人のやり口と同じだ。なぜか私も頻繁にこの手の人たちから勧誘を受けるので少々詳しいのだが、ねずみ講を進める人たちの中では「騙して金を巻き上げてやろう」という人は実はかなり少ない。ほとんどの人は「私は素晴らしいことをしている」「私の大切な人にも教えてやらないといけない」「みんなを救ってあげないと」こういう思想であることがほとんどなのである。だからタチが悪くて、ある種宗教じみているところもある。その根底には「私はみんなと違って希少な情報を握っている」という優越感に下支えされているところもあり、何か強烈なコンプレックスを背負って(いると思い込みながら)生きてきた人たちがこの手のものにハマる傾向が強い。きっと、承認欲求の裏返しだ。

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世界は格差が広がっている。社会的・経済的に弱い立場の人口は拡大の一途だ。勘違いしないでほしいのが、世界を大きく二つに分けたとき、日本は既にこちら側であるということだ。日本が先進国であった時代とは違い、日本の普通はもう世界の普通ではなくなってきている。政治的な話はここでは議論したくないけども、オリンピックとか、コロナ対策とか、グローバルスタンダードでどう思われているかという視点に立って物事を眺めることは大切だと思う。

そうした時に、自分の思想が本当に「本当か」という視点に立ち返ることができる。大切なのは自らが握っている情報が正しいか正しくないかということよりも、正しくないかもしれないなあという感覚を常に持ち続けていることだと思う。

今週はこんなところで。

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