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Week16: わからないことを楽しむ

「謎に包まれたものを人はおもしろいと感じ無くなってきている」と庵野監督が言う。

シンエヴァを制作する過程でこぼした発言だそうだ。人々がわからないもの=つまらないものと切り捨てるようになりはじめているという。個人的な肌感覚としても、たしかに思い当たる節がある。こと、邦画系の映像作品に関しては説明しすぎるくらい説明してくれることが多い。

それで言うと、エヴァンゲリオンなんてその真逆の作品で、最初から最後まで説明されない部分がほとんどだ。だからこそ、その語られない部分に視聴者は無限の広がりを空想して、点と点をつなげたりして妄想を膨らませ楽しむ。むしろそれが本来の醍醐味として、かつては社会現象になったりもした。

昨今、いろんなことのスピードが速くなりすぎた、そして情報量が増えすぎた世界では、人々に余暇はほとんどない。生きていく上での経済活動に直結しないサブカルチャーに対して、人に説明してもわらずに自分の頭で考えて、分析して、考察するなんて言うことは、人生に余裕がある人にのみ許された娯楽なのである、と言われているかのようだ。

きっと、わからないものをつまらないと思うようになったのではなく、わからないものを追いかけるだけの時間がなくなったのだと思う。昔みたいに娯楽も限られていて、人々に時間もあったらまた違うのだろう。いまはいろんな娯楽が溢れかえっていて簡単にアクセスできる。私たちの余暇はいろんな媒体・企業が奪い合いを始めている。そんな昨今では、どの辺がどう面白いかを作品サイドから積極的に訴えていかないと、視聴者からすると「ごめん、構ってるヒマないねん」と思われてしまうわけだ。いちいちじっくり味わっている暇などないのである。

それと関係あるかわからないが、最近流行っている漫画はだいたい主人公が初めから最強設定のものが多い。ものすごく多い。一昔前までは、努力して強くなって、実はすごい血筋の一族の末裔だったりしてとか言うのが王道パターンだった。今はもう、努力の過程がない。すごい強い状態で転生したり、いきなり最強の能力を譲り受けたり、と言うのが定石になっている。たしかに、スタートから強キャラで反則的に無双していく姿は、ゲームの裏ワザを使ったみたいである種清々しさはある。すぐ飽きるけど。でももう、そうやってわかりやすく読書を掴んでいかないとウケないところまできているのだろう。主人公が、さまざまな困難に立ち向かって、修行を繰り返して強くなっていくのを読書は待ってくれないのだ。

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一方でだ。

庵野監督が言うほど、人はわからないものをつまらないと思っているわけではないと私は思うのだ。

それが、一昨年強烈な興行収入を叩き出し、ある種の社会現象的でもあった(日本ではそうでもなかったけど)マーベル・シネマティック・ユニバース(通称MCU)である。

MCUというのは要はアイアンマンやキャプテン・アメリカといったスーパーパワーを持つヒーローたちがチームになって、悪者を倒していく、というものすごく王道的で単純なストーリーである。その面白さのミソは、また別途解説の機会を設けたいと思うが、簡単に説明すると「ファクターX」と「原作があるのに予想できない展開」にある。

(ファクターXが、常用言葉かしらないけど私は未知の因子のことをさすときにこう呼んでいる)

MCU作品では、とにかくこのファクターXが次々に出てくる。なんか意味深なことを言うやつとか、素性がわからない物質とかアイテムとか、特に大したことを言ってないのにカット割的に絶対なんかあるやんこいつ、みたいなものが大量に出てくる。

そしてそれらは必ず、なんらかの形で点と点が線になって説明されるわけだが、この伏線回収が爽快でたまらない。そうなると、ファンたちはこぞって考察合戦を始めるわけだ。これが面白くて、なんならMCUの醍醐味はこの考察を巡らすことにさえあるとおもう。次の作品が公開されるまでの間の空白期間にマーベルは少しずつ情報を流し、その度にファンは考察を修正していく。そして作品が公開されたらそこで答え合わせをしてさらに考察を更新していく。エヴァンゲリオンと違って、考察が常に進化し続けるのがMCUの特徴だ。

普通原作があるのなら、ストーリー上これがこうなってこうなるのだろうな、という予測がつくものだが、MCUはそうは問屋がおろさない。原作があるからこう予想するだろうなをさらに裏を取ってくることも少なくなく、なんなら原作の展開を囮にして、なんかありそうと匂わせておいて結局なんでもなかった、みたいなことも仕掛けてくる。究極系としては、映画の予告編に使われている映像が本編では1ミリも登場しない、なんてことも仕掛けてくるし、登場しないだけならまだしも、予告編で普通に嘘をついてくることもある。

もう一つすごいのが、MCUのストーリーは最終的に何を目指して動いていると言うのがない。なるほど、アベンジャーズ(Avengers/逆襲者・反撃者)と言うだけあって、基本悪者が先行して何かを仕掛けてくるのがパターンだ。すなわち、主人公のヒーローたちが「これをしよう!」という、海賊王に俺はなる的な大目標が示されないので、いつも悪者がアクションを起こしてからストーリーが始まるのである。と言うことは、話のゴールがなんなのかが明らかでないし、各作品の中で何が行われるのかも明らかでないし、物語の完結までにあとどういうステップが残っているのかも全く見当がつかない。みんな面白がってMCU作品を追いかけているが、結局アベンジャーズがどこへ向かっているのかは誰もわかっていない。しかしMCUサイドはお構いなしにファクターXを次々にばらまいていく、という構図だ。

MCUの巧妙なところは、爽快で派手なアクションとコミカルでユーモアに飛んだキャラクターたちの会話と、ザ・SFな映像技術と王道の勧善懲悪ストーリーで短期的に視聴者を楽しませて関心を惹きつけつつ、長期的には伏線回収と謎解きを繰り返して楽しませると言う二段構えにある。

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たしかにわからないものを楽しむという力は多少衰えたかもしれない。そればそれで結構問題だ。生命の営みとして、わからないものを紐解いて生活を発展させていくのが大上段にあるミッションだと思うからだ。

でも庵野監督が警鐘を鳴らすほどには、人々の間には衰えていないと思う。むしろ若い人の間でこそまだまだ生きていてその芽はニョキニョキ伸びていると思う。しかし、経済システムと情報システムが世界のスピードを速めすぎていて、そうやってスルメ的に楽しむコンテンツが入り込む余地を削いでいる。そうなると、人々が偏ったコンテンツを摂取し続けて、挙句教養的な部分が死んでしまいそうだ。

その点MCUやエヴァは制作サイドの工夫もあって、うまく入り込んでいると思う。ワンピースもその一種だろうか。制作サイドの努力はもちろん不可欠だと思うが、それでももうちょっと、創作物に対して優しい世界になって欲しいものである。

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