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すき焼き

 季節の割には暖かな日が続いていたが、ここに来て、急にその時期らしい寒さになった。そんな日は、スーパーで白菜や人参、キャベツにしらたき、キノコに水菜、春菊や春雨を買い物かごいっぱいに買い込んで、鍋でも食べるのが料理をする手間も省け、何しろ体にいいこと請け合いである。しかし、スーパーに出向くと驚いたことにキャベツが一玉四〇〇円もするという緊急事態。一時期に比べたら野菜も随分安くなったと思って胸を撫で下ろしたのも束の間。季節が変わるとこんなに価格も変わるのだろうか。寒いからという理由だけで安易に鍋を食べるということもできなくなってしまった。何とも切ない話である。

 鍋と言うと、私には忘れられない思い出がある。
 私の祖母は、私が泊まりに行くことを心待ちにしていた。ちょっとでも「泊まりに行く」という言葉を電話なり手紙なりで口にした時には大変である。
「やい、いつ来るんだ」「何日泊まっていけるんだ」と、私を質問攻めにした後、決まって最後には「夕飯は何を食べたいか」と訊くのである。
 私はすかさず「すき焼き」と答えたものだった。
 我が家でもそう多くはなかったが、すき焼きが夕飯として膳に上がることはあったが、それは祖母から言わせればすき焼きではなかった。すき鍋と言った方がいいのかもしれない。文字通り肉を焼くのではなく、野菜が煮えてる中に牛肉をドボンとそのまま放り込んだ代物である。そんなすき鍋は食べたことはあっても、すき焼きは食べたことのない私は、祖母が振る舞ってくれるすき焼きがいつも楽しみだった。

 そうと決まると、祖母は私が泊まりに行く前日からすき焼きの準備を始める。近くのスーパーへ行けば、手頃な値段でそれなりのいい肉が売っていたと思うのだが、祖母はわざわざ以前住んでいた隣町の馴染みの肉屋の牛肉の方が美味だからと、てくてく歩いて、もしくは一駅電車に乗って、はたまたもう少し若かった時は自転車に乗って、遥々買いに行くのだった。

 見栄っ張りなところも大いにあったと思うのだが、生活を切り詰めてその分、たまにしか泊まりに来ることのない私に美味しいものを食べさせようという、今思えば涙ぐましい祖母流の「もてなし」だったのである。

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